2015年02月18日

もののあわれについて725

東宮の女御は、御子達あまた数そひ給ひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うち続き后にい給ふべきことを、世の人あかず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆえなくて、あながちにかくしおき給へる御心を思すに、いよいよ六条の院の御ことを、年月にそへて、限りなく思ひ聞え給へり。院の帝、思しめししやうに、御行もところからで、渡り給ひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御有様なり。




東宮の女御、つまり明石の姫は、皇子が次々に生まれて、いっそう寵愛は、並ぶ者がない。源氏が、引き続いて、皇后になられるようで、世間の人が、感心しないと思っているにつけても、冷泉院の皇后は、なれるはずもないのに、押して、このようにされたご親切を、考えると、いよいよ六条の御事を、年月と共に、この上なく、ありがたく思うのである。
院の帝は、希望通りに、御幸も気軽に、お出掛けになったり、御退位後は、かえって、思い通り結構な、理想的なご様子である。




姫宮の御ことは、帝御心とどめて思ひ聞え給ふ。大方の世にも、あまねくもてかしづかれ給ふを、対の上の御勢には、えまさり給はず。年月ふるままに、御中いとうるはしく睦び聞え交し給ひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見え給はぬものから、紫「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかにおこなひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつるここちする齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」と、まめやかに聞え給ふ折々あるを、源氏「あるまじくつらき御事なり。みづから深き本意あることなれど、とまりてさうざうしく覚え給ひ、ある世に変はらぬ御有様の、うしろめたさによりこそながらふれ。つひにその事とげなむ後に、ともかくも思しなれ」などのみ、さまたげ聞え給ふ。




姫宮については、今上は特に気をつけて、配慮される。世間から広く重んじられていたが、対の上、紫の上の威勢には、勝つことが出来ない。
年月がたつにつれ、理想的な御仲で、親しみあっていらっしゃり、何の不満もなく、打ち解けていられる。
紫は、もう、このような、かりそめの生活ではなく、落ち着いて、お勤めをしたいと思います。私は、この程度と、解った気がする年になりました。よろしいように、お許し下さい。と、熱心にお願いされることは、何度もあるが、源氏は、とんでもない、酷い言い方です。私自身、強く希望する事なのだが、後に残り、物足りなく思われ、私が傍にいたときと違ったようになるのが、気掛かりなばかりに、こうして、普通の生活を続けているのです。私が出家した後で、どうなりと、考えてください。ということばかりを、おっしゃり、お許ししないのである。




女御の君、ただこなたをまことの御親にもてなし聞え給ひて、御方はかくれがの御後見にて、卑下しものし給へるしもぞなかなか行く先たのもしげにめでたかりける。尼君も、ややもすれば、たへぬ喜びの涙、ともすれば落ちつつ、目ををさへのごひただして、命長き、うれしげなる例になりてものし給ふ。




明石の女御の君は、ひたすら、こちらを本当の親と思い大事にされて、御方、明石の君は、蔭のお世話役として、謙遜していらっしゃる。が、将来は、安心だという気持ちで、結構なことであった。尼君も、どうかすると、堪えきれない喜びの涙が、何かあると、落ちたりして、目までこすって、赤くし、長生きが、幸福の例になっている。

明石の女御は、明石の君の子だが、紫の上に引き取られ、育てられて、東宮の女御になり、そして、天皇の位に就く、子を沢山産んでいる。
源氏と紫の上を、本当の親と思い、明石の君は、蔭で、女御の世話をする。その母、尼君は、その幸福に涙を流すのである。




住吉の御願、かつがつはたし給はむとて、東宮の女御の御祈りにまで給はむとて、かの箱あけて御覧ずれば、さまざまの厳しきことども多かり。年ごとの春秋の神楽に、必ず長き世の祈りを加へたる願ども、げにかかる御勢ならでは、はたし給ふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたるおもむきの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れ給ふべき言の葉あきらかなり。いかでさる山伏の聖心に、かかる事どもを思ひよりけむ、と、あはれにおほけなくも御覧ず。さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行ひ人にやありけむ、など思しめぐらすに、いとどかるがるしくも思されざりけり。




源氏は、住吉に立てた、御願をそろそろ果たそうと、また、東宮の女御が御祈願に、御参りされるとあり、あの箱を開けて、御覧になると、様々な、堂々とした、願が数多い。
毎年、春秋に、奏する神楽に、必ず子孫繁栄の祈りを加える願の数々、いかにもこれほどの御勢いでなければ、出来ることではない。ほんの走り書きした願文が、学問も見えて、論旨も確かである。仏神も、お聞き入れなさるに、違いない文章である。どうして、あのような山伏の欲の無い心で、こんな事を考え付いたのかと、感服し、また、分に過ぎたと思われる。縁あって、ほんの少しの間、仮に身を変えた、前世の修行者なのか、などと、あれこれ、考えられると、一層、軽く見ることはできないのである。

何故、源氏が、このように思うのかといえば、秘密の子である、冷泉が帝になり、そして、無事に、譲位した。実の弟は、東宮であり、一人娘の、明石の姫が将来は、国母になるという。源氏の願いが、実現近づいたからである。




この度はこの心をばあらはし給はず、ただ院の御物詣にて出で立ち給ふ。浦伝ひのもの騒がしかりし程、そこらの御願ども、皆はたし尽くし給へれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見給ふにつけても、神の御助けは忘れ難くて、対の上も具し聞えさせ給ひて、詣でさせ給ふ。響き世の常ならず、いみじく事どもそぎ捨てて、世のわずらひあるまじく、と省かせ給へど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。




この度は、この主旨は表ざたにならず、ただ院の御参拝という事だけにして、ご出発される。浦から浦へと苦労された、あの騒ぎの折に立てた願は、全部果たされたが、それでも、世の中に、このように栄えて、様々な栄華を知るにつけ、神のお助けは、忘れられず、対の上もお連れして、御参拝される。その評判は、大変なもので、思い切って、簡略にされ、世間が困らぬようにと、倹約されたが、決まりのあることで、またとない、仰々しさだった。








posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。