2015年02月09日

もののあわれについて721

若菜 下

ことわりとは思へども、うれたくも言へるかな、いでや、なぞかく、異なる事なきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ、かかる人づてならで、ひとことをも宣ひ聞ゆる世ありなむや、と思ふにつけて、大方にては惜しくめでたしと思ひ聞ゆる院の御ため、なまゆがむ心や添ひにたらむ。




柏木は、無理もないことと思うが、いまいましい、言い方をしたものだ。いでや、何でこんな通り一偏の挨拶を気休めに、どうして日が過ごせよう。こんな人伝ではなく、一言でも、お言葉を交わす時が、あるだろうか。そう思うと、これ以外に、ご立派な、お見事と思う院の、御ためにとって、けしからぬ心が、生じたことだろうか。

院とは、源氏のことである。
つまり、源氏の正妻の、女三の宮を、思うのである。




つごもりの日は、人々あまた参り給へり。なまものうく、すずろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てや慰むと思ひて参り給ふ。殿上の賭弓、二月とありしを過ぎて、三月はた御忌月なれば、口惜しく、と人々思ふに、この院に、かかるまといあるべしと聞き伝へて、例の、つどひ給ふ。左右の大将、さる御中らひにて参り給へば、次将たちなどいどみかはして、小弓と宣ひしかど、歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召しいでて射させ給ふ。




三月末日は、大勢の方々が参上された。気が進まず、落ち着かないが、あの方の、お住まいの、美しい花でも見れば、気が休まると思い、参上される。
殿上ののり弓が、二月にあるはずだったが、行われずに、三月もまた、御忌月なので、残念だと、皆が思っていたところ、源氏が、こういう催しがあると聞き伝えて、いつも通り、お集まりになった。左右の大将が、あのような御間柄で参上されたから、次将たちなどが、競争で、小弓と言うが、歩弓の素晴らしく上手な連中もいるので、お呼び出しになって、射させる。

左大将は、黒髭で、源氏の養女である、玉葛の夫である。
右大将は、夕霧である。




殿上人どもも、つきづきしき限りはみな前後の心、駒取りに方わきて、暮れゆくままに、今日にとぢむる霞の気色もあわただしく乱るる夕風に、花の蔭、いとど立つことやすからで、人々いたく酔ひ過ぎ給ひて、「えんなる賭物ども、こなたかなた、人々の御心見えぬべきを、柳の葉を百度あてつべき舎人どもの、うけばりて射取る、無人なりや。少しここしき手つきどもをこそ挑ませめ」とて、大将達よりはじめて降り給ふに、衛門の督、人よりけにながめをしつつものし給へば、かの、かたはし心知れる御目には見つけつつ、「なほいと気色ことなり。わづらはしき事いでくべき世にやあらむ」と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君達、御仲いとよし。さる中らひといふ中にも、心かはしてねんごろなれば、はかなき事にても、物思はしくうち紛るることあらむを、いとほしく覚え給ふ。




殿上人たちも、やりそうな者は、誰も彼も、一同、前後の組み合わせを順にして、組分けして、日が暮れてゆくにつれて、今日が、最後の春霞の雰囲気も慌しく、吹き乱れる夕風に、花の蔭は一層立ち去りにくく、皆、酷く酔い過ぎて、結構なご褒美の数々、ご婦人方の趣味が伺えるものを、柳の葉も、打ち抜く舎人たちが、我が物顔に、射取るのは、面白くない。少しは、おっとりした射方を、競争させようと、大将方をはじめとして、降り立ちになるが、衛門の督は、他の人より目立って、物思いに沈みながら、弓を手にするので、あの少しは事情を知る、夕霧の目にとまり、やはり様子が、おかしい。やっかいな事が、起きるかもしれないと、自分まで、心配する気がする。
このお二人は、仲良しで、仲良しの中でも、特に思い合って、睦まじいので、ちょっとしたことでも、物思いに気を取られることがあると、可愛そうだと、思うのだった。

衛門の督とは、柏木のこと。
さる中らひといふ中にも、心かはしてねんごろなれば、はかなき事にても、物思はしくうち紛るることあらむを、いとほしく覚え給ふ・・・
上記は、少しばかり、同性愛的、表現である。




みづからも大殿を見奉るに、気恐ろしくまばゆく、「かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振舞はせじと思ふものを、ましておほけなき事」と思ひわびては、「かの、ありし猫をだに得てしがな。思ふこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにもなつけむ」と思ふに、物狂ほしく、「いかでかは盗みいでむ」と、それさへぞ難き事なりける。




柏木は、自分でも、六条の院、源氏を拝すると、何やら恐ろしく、目を逸らし、こんな考えを持ってもいいものか。普通のことでも、良くない行いだ。人から何か言われるような行いは、すまいと、思っているのに、それどころか、こんなに大それた事を、と思い余った末、あの時の猫でも、せめて手に入れたい。心のたけを話し合うことは、出来ないが、一人寝の寂しさを紛らわすため、なつけよう。と思うと、気が狂いそうで、何とかして、盗み出したいと、思う、が、それさえも、難しいことなのだ。




女御の御方に参りて、物語りなど聞え紛らはしこころみる。いと奥深く心恥づかしき御もてなしにて、まほに見え給ふこともなし。「かかる御中らひにだに、気遠くならひたるを、ゆくりにあやしくはありしわざぞかし」とは、さすがにうち覚ゆれど、おぼろけにしめたる我が心から、浅くも思ひなされず。




女御のお部屋に伺って、お話などされ、心を紛らわせようとする。大変に慎み深く、痛み入る扱いで、お姿を見せることも無い。兄弟の間柄ですから、隔てを置くのが、普通なのに、思いもかけず、腑に落ちないことだ、とは、さすがに、ふっと思うが、とても思い込んだ気持ちなので、女三の宮を、浅はかだとは、思えないのである。

弘薇殿の女御は、柏木の妹である。
柏木は、女三の宮が、顔をみせたことを、浅はかだとは、思えないのである。

当時の貴族は、兄妹といえども、顔を見せないという、礼法である。




posted by 天山 at 07:08| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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