2015年01月22日

玉砕6

昭和6年9月18日、満州事変が勃発した。

これは、陸軍、関東軍の仕業である。
つまり、自作自演の謀略。

奉天近郊の柳条溝で、満鉄の線路が爆破され、それを奉天軍の仕業であると、直ちに、各地で関東軍が、奉天軍を撃砕するのである。

張作霖の殺害の後、その息子である、学良は、日本に敵対し、反日、抗日の声が満州全土に広がっていた。
と、いわれが・・・
民衆は、どっちもどっち、である。

張作霖を支持していた民衆は、いないのである。
搾取されるばかりの軍隊、いや、匪賊の集団である。
当時の中国の軍とは、皆々、それらの集団だった。
真っ当な軍というものが、存在しない。

だが、謀略は、謀略である。
関東軍は、学良を追放して、新国家を樹立し、ソ連の脅威に備えようとしたのだ。

悪いことに、軍中央の制止を振り切って、独断でことを進めたのである。

だが、日本では、その関東軍の成果を、多くの国民が支持した。
しかし、関東軍は、単なる、現地派遣部隊である。
暴走したのだ。

それに対して、昭和天皇は、実に憂慮して、陸軍大臣、参謀総長に、不拡大を要望し続けたのである。
だが、軍は、何かと理由をつけて、行動を先行させた。

これが、後々に、無謀な計画を実行する陸軍の体質になる。
ただし、国民の多くが支持したということが、問題だ。

それ程、国民の経済状態は、暗く、激しく、惨めなものだった。
一つだけ例を上げれば、東北の農民は、その娘を売るという、実に悲惨な状況である。

日本や欧米九カ国が、中国の領土保全を誓約した、九か国条約、更に、国際紛争は武力によらず、平和手段で解決するという、不戦条約にも、違反した。

その頃の、天皇陛下は、独白して、怒っていた。
陸軍が馬鹿なことをするから、こんな面倒な結果になったのだ。
満州を張学良に還してしまえば、問題は簡単ではないか。

関東軍の逸脱・・・
天皇の命を受けるというはずが・・・
天皇の御心に、背くのである。
そして、以後も、背き続ける。
更に悪いことに、天皇陛下の御名を使い、徹底的に洗脳教育をする。

昭和7年1月、戦火は、上海にまで、飛び火した。
日蓮宗の僧侶五人を、中国軍が連れ去り、海軍陸戦隊と銃火を交えたことから、好機到来と、陸軍が派兵を断行した。

天皇は、南京政府との交渉経過を聞き、その強固な態度に、
それでは、日支親善ということは、当分できない。
と、仰せられた。

更に、速やかに、停戦に持ち込むように、ご要望された。

それは、国際連盟の総会が、三月はじめに開催される予定で、満州問題を巡り、対日批判が見込まれたせいもある。

派遣軍の幕僚たちは、勝ちにはやり、首都南京の攻略を求めたが、白川司令官が、天皇の意を重んじ、それを抑えて、3月3日に、停戦布告を発した。

それから、中国側と協定を結び、撤兵にかかったが、その直後、白川大将は、上海の天長節祝賀式で、朝鮮人テロリストの手榴弾を浴びて、それが元で一ヵ月後に亡くなった。

その際に詠まれた、昭和天皇御製がある。
をとめらが 雛祭る日に たたかひを
とどめしいさを おもひでにけり

つまり、戦いに勝ちしいさお、ではなく、戦いをとどめしいさお、なのである。
戦いを止めたことを、評価されている。

天皇は、本当に御心に叶う大将の死を悼んだ。
陸軍は、面従腹背の将校が多かったといえる。

だが、国民は、天皇の平和希求をよそに、軍部に同調し、満州が支配下になったことを、喜んだ。

戦争をするということは、様々な要因があるが・・・
何より、国民の支持が一番である。
それは、国柄を別にしても、同じく。

更に、軍部の傲慢振りを書けば、あくまでも、天皇を表にして、天皇の名の下に、すべてを進めていた。忠義なる赤子である。
大陸経略が、天皇の意志、御心であると、説いたのである。

こうして、新国家満州国の建設が始まる。
目まぐるしい程の、進行状態である。

奉天軍残党の討伐。
その執政に清朝の皇帝廃止、溥儀の擁立。

その頃の、日本の政治は、腐敗。そして、打ち続く、農民の困窮。そして、テロ。

一部青年将校と右翼急進派を、国政一新を目標とするテロ行為に、駆り立てた。

それもまた、天皇の嫌うところだった。
彼らも、また、天皇の名を表にして、行為するという・・・

何度も書いているが、天皇は、君臨しても、統治せずの姿勢を貫かれるのである。
だから・・
政治家、国民が、皆々、天皇の御心を思い、その御心に添うことなのである。
天皇に相応しい、政治家、国民たるべきである。




posted by 天山 at 06:04| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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