2008年01月01日

トラック諸島慰霊の前に言う

戦争犠牲者、追悼慰霊の旅をする私は、太平洋戦争の様を、調べている。


この戦争は、日本が、追い詰められた故の、自衛の戦争であるという、良心的な、分析をする者もいる。それを、私も、支持する。しかし、その、犠牲者のことを思うと、矢張り、やり切れない思いを抱く。


誰かを、悪者にして、その、怒りを、静めるということも、ある。

犯人探しである。

それは、出来る限り、しないと、思いつつ、矢張り、この戦争に関して調べてゆくと、一人の人物に行き当たる。

東条英機である。


最後には、徹底した精神主義にての、東条の行為に、私は、ドイツの、ヒットラーを見るのである。

どのように、良く解釈しても、彼は、誤っていた。


彼は、ある時、子々孫々に、政治家などになることのないようにと、呟いたそうであるが、それは、彼が、政治と、軍事に関わるということを、是とせず、非としたということである。

それならば、あれ程の、犠牲を出すことなくの、方法を取れたはずである。


実に、軽薄で、実に、愚かで、実に、無駄な、人生である。


絞首刑は、最もであった。


その、孫に当たるという者が、東条の行為を、正当化する云々を言うが、有り得ない。

完全完璧に、間違っていた。


御前会議という、天皇を前にしての、東条の傲慢は、極まりない。

実に、不敬である。


彼は、天皇さえも、自分の意思に従わない場合は、殺したのである。


それが、実に、よく、理解できた。

ドイツのヒットラーを、見る思いである。


自害せずに、絞首刑になるとは、また、実に、恥ずかしいことである。

自分が、言ったことを、忘れているのである。


捕虜になり、辱めを受けるより、自害せよとは、東条の言葉である。


そして、天皇に責任が及ばないように、と、自分が、すべての責任ある者のように、振舞ったということ、実に、偽善である。

最後まで、演じたのであろが、愚かである。


日本の法律で、A級戦犯などという、罪は無いが、彼は、最上級の、戦犯である。


天皇、日本国、日本人を、舐めている。


誰も言わないので、私が言う。

彼は、地獄が、住処である。


単なる、野心にのみ、行為したのである。

勿論、政治家というものは、皆々、野心に行為する。


本当に、何かを変えたいと、思えば、私のように、政治家にならず、実際的、行為を行うのである。

少しばかり、名が知れると、政治家を目指す。つまり、顕示欲である。野心である。


政治家になるなら、有名になればよい。

ただ、それだけである。


さて、トラック諸島のことである。


1943418日ソロモン諸島の、前線基地を視察の、山本五十六連合艦隊司令長官が、米軍戦闘機16機による、待ち伏せ攻撃にて、機上で、戦死した。


米軍の日本軍の、暗号解読の成果である。

情報戦による、日本の敗北を意味する。


実は、この年、二月に、ガダルカナルを撤退している。

その敗北を、ニューギニアで、埋め合わせしようと、したのである。

ニューギニアに、兵力の増強を始めて、それは、うまく進んだ。

しかし、最も、兵力を増強する必要のあった、ラエ、サラモアへの第51師団の輸送は、その三月、連合軍機の攻撃によって、阻止され、輸送船八隻、護衛の駆逐艦四隻を失うという、大損失を蒙った。

ダンピールの悲劇と言われる。


この時、米軍、豪軍の戦闘機は、漂流する日本兵を、数日かけて、機銃掃射を繰り返して、出撃した魚雷艇が、海上を捜索して、日本兵を、射殺した。


漂流中の、無抵抗の日本兵を、射殺するというのは、戦争犯罪である。


ニューギニア戦線では、米軍の攻撃に、次第に、日本軍は、後退する。

何より、悲劇であることは、食料などの、補給がされず、多数の将兵が餓死したのである。


ニューギニア第18軍の戦没者は、約10万人である。そのうちの、約9万人が餓死である。


銃撃されて、死ぬのではない。餓死で、死ぬのである。


霊など、存在しないという者に言う。

その場に、行けと。

その場に行って、霊の存在の無いことを、確認せよと。

餓死した者の、霊の苦しみは、未だに、終わらないのである。


その場に、行けば、喉が渇き、兎に角、無性に、物が食べたくなるのである。

一時的に、霊が憑依する。


トラック諸島慰霊に、一ヶ月を切った夜、私は、多くの香りで、目覚めることになった。

そして、激しい、怒りと、悲しみである。

切なくなった。

それは、線香の匂いと、様々な花の匂いだった。


しかし、私は、霊能者ではない。

その姿を見ることはなかった。


何故、私のところに、コンタクトするのかは、私が、単に慰霊に行くからである。その、思い、すでに、飛んでいる。ただ、私の思いに、感応しているのである。

霊は、思いをのみ、受け取るのである。

その存在を知る者に、思いを送るのである。


勿論、私は、私の妄想であると、心得ている。


私の心が、トラック諸島に、広がっているのである。その心に、感応するのである。それは、私のみのもの。それを、信じて貰う何物も無い。故に、妄想である。


さて、海軍は、ソロモン諸島の、確保に、固執していた。

この地域が、突破され、ラバウルが、占領されると、連合艦隊の、最大の拠点である、トラック諸島が、米軍大型爆撃機の、行動範囲に入るからである。


そして、山本五十六の戦死である。


1943年の5月には、アリューシャン列島の、アッツ島が、全滅する。

敗戦に向かって、一直線に進んだ。

12月は、タラワ島、マキン島の全滅。

翌年、クェゼリン島、ルオット島の全滅である。


19439月の、御前会議は、茶番であった。

9月は、イタリアが、連合国に降伏したのである。


以後、無謀な戦いが、続く。


御前会議で、決定した、絶対国防圏の強化が、進まない。

それは、海軍が、トラック諸島の、確保を依然として重視し、圏外に位置する前方要塞の放棄に、踏み切れなかったからである。


米軍が、前方要塞に進軍し、全滅する。


その頃になると、海上輸送の、低下が、甚だしい。

船舶の喪失が、急増して、兵員輸送用の、輸送船すら、不足するのである。


1944年初頭、大本営は、中部太平洋の、防備強化を決定した。

3月から5月にかけて、サイパン、トラック諸島、グアム、硫黄島、ペリリュー島への、緊急優先輸送を開始した。


1月から、6月にかけて、中部太平洋に、輸送された兵士は、42千名。

このうち、潜水艦などによって、沈没した人数は、12千名。うち、戦死者は、3600名である。


1944年、米軍は、2月に、マーシャル諸島の、クェゼリン・ルオット島に、さらに、ブラウン環礁に上陸し、全滅させる。


217日から、18日にかけて、米軍の機動部隊が、トラック島を攻撃して、日本軍は、航空機270機、艦船40数隻を失うという、大損害であった。

これにより、トラック諸島は、完全に米軍に掌握された。


このような状態でも、大本営は、インパール作戦を開始したから、愚かである。

それが、タイ・ビルマ戦線である。


トラック諸島には、艦船だけではない。民間船、つまり、輸送船200隻あまりも、沈んでいる。

乗組員は、生き残ることは、出来ない。海底に、残されたままである。

地上戦の場合は、生き残ることもあるが、海上である。


イルカの背に乗って、助かるということは、ほとんどない。

全員、死亡である。


戦後、僅かばかりの、遺骨が、収集された。

後の遺骨は、今も、海底にある。


そして、世界のダイバースポットとなり、ダイバーが、日本軍の兵士たちの、遺骨を見るために、海に潜る。

それが、私の父や兄弟たったらと、思うと、ただ事では、いられない。


今、何故、追悼慰霊なのか。

心、斜めに構えている者には、決して、解らない。


靖国神社に参るが、遺骨眠る場所に、追悼慰霊には、行かない。

靖国に、戻られる霊は、少ない。

行き場を失っている。

故郷にも、帰られない。

行き場を失っている。

各々の信仰する、宗教の天国や、極楽にも、行くことが出来ない。

行き場を失っている。


そこに、漂うばかりである。

気を失ったままに、漂う霊もある。


追悼慰霊とは、彼らを、目覚めさせる行為である。

霊的存在であることを、目覚めさせる行為である。


多くの人類が、殺されてきた。

宗教の、発生は、それに大きく負う。

追悼慰霊の行為にあった。


目に見えない存在をもって、宗教的行為が、成された。

しかし、現在、宗教を見渡して、それをするもの、皆無である。

いやいや、供養をしています。追悼をしています。と言うだろう。それが、すべて、生きている側からの、満足感であるということに、気づかない。

死者を扱う宗教の、欺瞞は、計り知れない。


ローマ法王が、スペイン統治の南米の一億人を殺した、追悼慰霊をするなど、見たことも無い。

精々、信者の戦死者を、追悼する程度である。


それでは、日本仏教団体は、どうか。

農協さんのように、安楽な旅は、するが、金にならない、追悼慰霊、あるいは、供養などしない。

それでいて、したり顔で、お釈迦様の、教え云々と言う。呆れる。


皆々、宗教の大嘘に、気づくべきであろうと、思うが、騙されたいという方が強く、皆々、騙されて、念仏したり、題目を上げて、地獄行きの行為を、続けている様、つくづくと、哀れである。


しまいに、お遍路さんである。

弘法大師と同行二人で、四国を歩くという、おめでたさである。

自分を見つめる旅とは、笑わせる。

四国を、歩いて、自分など、見つめられる訳が無い。

それなら、隣近所の、ゴミ拾いでもした方が、実りある。


実に、愚かなことである。


さて、私は、心の命ずるままに、追悼慰霊を行為する。


トラック諸島全域を、追悼慰霊し、清め祓いを行う。


そして、霊位に、言う。

靖国に行きたい人は、靖国に。故郷に戻りたい人は、故郷に。母の元に戻りたい人は、母の元に。

天国や、極楽に行って下さいとは、口が裂けても、言わない。

霊界に、そんな場所は無い。


さらに、次元の別にする、世界へ、お戻りくださいと言う。


清め祓いとは、日本の皇祖皇宗に、お願いして、その、御霊を、御霊に、ある、悪しきものを、清め、祓い、本来の姿に戻ることをいう。

ただ今、皇祖皇宗を、総称して、天照御大神と、お呼びする。

これは、伝統行為である。


追伸

当初は、予算の関係で、海上慰霊を考えていなかった。

現地日本人の方が、慰霊の手配などを手がけていることは、知っている。しかし、私一人では、金額的に無理である。

そこで、同行の野中が、現地の漁師さんに、お願いするといいのでは、という話になり、現地で、交渉し、海上慰霊も、行うことにした。

浜辺で、トラック諸島全域に渡る追悼慰霊と、思ったが、矢張り、海上まで出て、行為することにした。

海上慰霊をし、浜辺での追悼慰霊を行うということになる。


ある夜、お香の匂いと、次に花々の匂いがして、目覚めた。

いいようもない、気持ちがした。

すでに、霊位にある方々が、コンタクトをしてきていると、感じた。

その場に行くこと自体に、慰霊の行為がある。

すなわち、家から出掛ける時から、慰霊の行為が、始まるということである。

思念は、時空を超える。しかし、その場に出掛けるという行為が、この次元に留まる霊位には、絶大なる影響を与えるのである。

こちらが、それに掛ける、様々な苦労を伴っての行為であることが、彼らの慰めになるのである。

この世は、行為の世界である。

だから、私は、行くのである。



posted by 天山 at 16:37| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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