2008年01月01日

トラック島慰霊の旅 平成20年1月23日

今、再び、何故、追悼慰霊なのか。


トラック諸島、現在のチューク島への追悼慰霊が、来週に迫った。


私の、親族が、なくなっている訳ではない。しかし、私は行く。

私の父の兄たちは、多く戦死している。しかし、もう、彼らが、どこで、亡くなっているのかを、知らない。

私は、具体的な、所属部隊も知らない。


せめて、生前の祖母に、聞いておけば、よかったと思う。しかし、もうそれは、いい。これから、出来る限りの場所に行き、追悼慰霊をする。


こういう活動をしていると、様々な情報や、話を聞くことになる。


バリ島。

バリ島には、現在、テラハウスを、建設中である。

最初に、バリ島に出かけたのは、今から、13年前である。

そして、昨年、久々に、バリ島に出かけて、その変化に驚いたものだった。


テラハウスは、借地である。

私の、お弟子さんの婚家先の、土地である。

当然、その家族の皆様との、付き合いも、はじまった。


いつも、そこに、お爺さんがいる。

言葉は、かわさないが、会釈する。向こうも、会釈をする。

昨年の四月、初めて、その家庭で、夕食をいただいた。

その時、お爺さんは、黙って、私たちの座に加わり、座っていた。

何も、言わない。


実は、つい最近、この話を聞いた。


バリ島にも、戦争時代の、記録が、残されている。

第二次世界大戦である。

日本の占領地に、バリ島もあった。それは、知っていたが、具体的なことは、知らなかった。インドネシアという、大枠で、考えていた。つまり、バリ島の人とは、それほどの、関係はないと。


ところが、違った。


その、お爺さんの、年齢以上の人は、男は、皆、日本軍の奴隷にされたというのだ。


バリ島・ウブドゥの男たちは、自分たちの作った米を、日本軍に渡すために、海側まで、徒歩で、米を運び、さらに、船に乗り、使用されたという。


タイ・ビルマ戦線、インパール作戦も、そうだが、現地の人たち、男たちを、荷物運びの、クーリーとして、兵隊の数より、多くの中国人、タイ人を、使用したという。


勿論、兵士たちと、共に、亡くなっている人もいる。


愕然とした。


実は、日本人と結婚する、バリ島の男が多いが、その内実は、親族に必ず反対する人がいるという。昔の日本軍の有様を知る人たちだ。


ただ、救われているのは、バリ島の人、バリニーズたちの、心情は、過ぎたことは、忘れるという。

私の、お弟子さんが、夫に、お爺さんは、日本人を、憎んでいるだろうとね、と、尋ねると、いや、忘れたと言う、と、答えたという。

もう、過ぎたことだから、と。


日本の感覚で、言えば、水に流すということだ。


そして、私は、言われた。

これから、活動するバリ島でこそ、戦争犠牲者の、追悼慰霊を、行って欲しいと。


お弟子さんの、ご主人の、知り合いの、お爺さん、また、年老いたお父さんに、奴隷として、働いた人が多くいたという。

今は、皆、亡くなっている。


日本兵に、肩を斬られて、体が、歪んだまま、生きていた人もいるという。


バリ島の、観光地にも、戦争の記念館がある。

そこに行く日本人に、ガイドは、決して、その話をしないと聞く。


黙して語らないのだ。


これも、私が、戦争犠牲者の、追悼慰霊をしてるということを、言うからの、情報である。


そうであったなら、バリ島でも、時期を見て、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行いたいと思う。いまだかって、バリ島の犠牲者の慰霊などした、日本人はいない。


さて、私の、トラック諸島への、慰霊の情報で、遠い記憶を思い出した方も、多い。忘れた振りをしていたのだ。

思い出さないようにしていたのだ。


実は、という、前置きで、話が始まる。


もう、戦争が終わり、戦争体験者も、多く亡くなってる。

その、孫たちの時代である。

話を聞いていた孫たちに、尋ねるしかない。


バリ島で、日本軍の犠牲になった方々の追悼慰霊をすると、決めた。


日本政府は、政府開発援助として、毎年、インドネシアに、一千億近い、支援をしている。それは、あまり、知られていない。

また、博物館や、建物の玄関の、横に、日本政府によって、戦争保障の云々という、看板が掛けられている。ほとんどの日本人観光客は、それを、見落とす。


国と国の、間では、そのように話し合いが行われるが、市民は、知らない。

それを、知らせるべきであると、共に、日本人が、慰霊の行為を、すること。それに、尽きる。


死ねば、終わりで、死んだ者が、損だというなら、それは、話にならない。

死んだ者の、気持ちを代弁する必要がある。


神仏は、妄想だが、人が死ねば、霊になる。

その、霊位に対する所作が必要である。


すると、矢張り、こうしては、いられないのである。


謝罪外交と、保障外交に、日本は、明け暮れた。

それでも、まだ、足りないのである。

つまり、最も、大切なこと。

慰霊を、行わないからである。


国の要人が、花輪を持って、追悼の行為をすることも、必要であるが、実際的に、祈りを持って、日本人の祈りを持って、行う必要がある。


先祖祭りを大切にする、日本人である。ならば、あちらの国の人も、そうである。

篤き思いを持って、それを行う時、本当に、謝罪という、言葉の重さが、成就できる。


トラック諸島にも、現地の人たちがいた。

その人たちも、犠牲者であり、亡くなった方もいる。


日本兵だけではない。

日本人だけではない。


戦争で、犠牲になった、すべの方々の追悼慰霊なのである。


人の思いから、念というものが、発せられる。

それは、念として、単独で、行為するものである。それが、多くの積もると、想念となる。

もし、恨みや、憎悪の、想念ならば。

再び、人の心に、戦争の種を蒔く。


平和を願う行為の一つに、追悼慰霊の行為がある。

口先では、最早、駄目なのである。


生きている方は、忘れてくれるという。

しかし、死者は、口無しである。

その、死者の思念を、感じ取る行為が、追悼慰霊なのである。


日本の伝統には、鎮魂の作法という、特別な、死者に対する作法がある。

勿論、それを、私が行うのではない。

私が行えるのは、追悼慰霊である。


鎮魂とは、御霊、鎮めである。

これは、高い次元の霊的存在の介入なしに、行為できるものではない。


私がする、追悼慰霊は、亡くなった方々に、哀悼の念を持って望み、それぞれの、霊的次元に、お戻り願うことを行為する。


霊の存在を否定する人には、理解できない。

もし、霊の存在を否定するならば、死者は、そのまま、放って置けばいということになる。

死んだら、終わりであるならば、死者のための行為など、必要ない。

何故、古代から、死者に対する所作があったのかは、霊が存在するからである。


勿論、私は、霊の存在を否定する人に、霊の存在があるということを、説得するものではない。


心の命ずるままに、行為するのみである。


私は、知っているからである。

霊が、存在することを。



posted by 天山 at 16:36| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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