2007年12月08日

バリ島へ 8 平成19年12月

帰国の日である。

7日間の予定が、矢張り、あっという間に過ぎた。


朝、ホテルのレストランに行く。

まだ、誰も来てない。

少しして、辻さんが、出てきた。


楽しかったというのが、開口一番である。


最初のバリ島が、楽しいということは、嬉しいことだ。


ホテルを出る、夕方、四時までには、時間がある。皆、フリータイムである。

帰り支度をしなければならない。

野中は、朝から、帰り支度をしていたという。


バリ島から、去るということに、皆、一抹の寂しさがある。


私は、朝食を終えて、矢張り、帰り支度を始めた。が、一度止めて、ベランダに出た。

ベランダから、木の枝に、巣作りをしている、小鳥を、毎日眺めていた。

目の前に巣がある。

そんな体験は、滅多に無い。


小鳥は、何の心配もなく、恐れもなく、巣作りに励んでいる。

天敵がいないのである。


日本に帰るという意識は、いつものことであるが、不思議である。

また、来るのだと、言い聞かせて、帰路に着くのである。


古人は、人生を旅に、見立てた。

実に、見事な、ことである。人生は、旅である。


旅は、いつか、終わる。それが、死ぬ時である。

その、死ぬ時まで、旅を続ける。そして、本来の世界に帰るという、考え方がある。実相の世界という。しかし、だが、である。実相世界が、本当だとしても、今は、この、迷いの人生を生きている。ここに、いるのである。


実は、私は、大いに、迷いたいと思っている。

迷っている、振りをして、生きたいと思っている。


バリ島も、その一つの方法である。


帰る日の、昼食を考えた。

私は、地元のスーパーで、買い物をして、部屋で、食べることを、提案した。皆は、賛成した。


早速、私は、車をチャーターして、千葉君と、スーパーに買い物に出掛けた。


主に、パン類を買い、ジュース、ソーセージ、チーズを買った。

それを、辻さんの部屋で、皆で食べた。

地元の人の食べるものを、食べるという、体験である。


デザートに、買った、ナタデココの、シロップ漬けを食べて、愕然とした。不味い。皆、そう思った。そこで、バリ島の味との、相違を知った。

最後に、勉強になった。

味というものの、感覚が、違うのである。

余計な味がある。この、余計な味が、バリ島である。

皆、それぞれに、カップ一杯を食べた。そして、お替りなしである。

残したものを、部屋に、そのままにしておいた。ボーイさんたちが、食べてくれると、有り難いと思った。


昼食を終えて、皆、それぞれの行動に、移った。

私は、最後の、マッサージに、向かった。

例の、タイマッサージである。


最後なので、フットマッサージをした。

一時間を、どのようにするのかと、期待した。

足裏から、太ももにかけてを、じっくりと、力強く揉む。実に、うまいのである。

オイルを使うが、揉むといいう感覚である。


満足して、私は、来年の四月に来ることを言うと、彼女は、ニコニコして、頷く。

オッケー、オッケーを繰り返した。


ホテルに戻り、オイルを流すために、プールに入った。

二三度、プールを泳ぎ、部屋に戻って、シャワーを浴びた。


そして、いよいよ、最後の帰り支度である。

次のことを、考えつつ、荷物を詰める。

ここでも、捨てなられない性格が出る。買い物をした、ビニール袋まで、鞄に押し込めた。


ゴミ問題が、頭から、離れないのである。

バリ島では、ゴミの分別もない。皆、一緒にして、捨てるのである。

観光客のゴミの、分量を考えただけでも、ぞっとする。


兎に角、日本に戻ってから、バリ島のゴミについて、考えようと思った。

いずれ、テラハウスを開くのである。あの場所で、出るゴミだけでも、しっかり、処理するべく、方法を考えることだと思うのだ。


四時を過ぎて、私たちは、ホテルの玄関に荷物を運んだ。

そして、送迎の車を待つ。


来年から、年に三度は、来ることになるバリ島である。

行き来をしている、うちに、住むようになるかもしれない。

人生は、どうなるか、解らない。


札幌から、鎌倉に出た時も、突然のように決めた。そして、横浜へ。そして、これから、また、何処かへ行くのである。

定住という、考えはない。

矢張り、旅を続けている。


帰国して、数日を経た日に、札幌のお弟子さんから、電話が入った。

ある方の、ご主人が亡くなったということだった。

これから、このような、連絡が多くなる。

私の両親も、生きている。ということは、いつか、死ぬということである。

年毎に、亡くなる方が、多くなる。そういう、年になった。


日本から、離れると、そういう時に、駆けつけることが出来ない。

親の時も、会えないかもしれない。その覚悟が、必要である。

また、自分も、どこで、命を落とすかしれない。

それを、思うと、捨てるしかない。

そう、後は野となれ山となれ、である。

その覚悟を持って、すべてに、臨むのである。


帰りの、ガルーダーインドネシアは、ジャカルタで、多くの人が降りて、私は、体を伸ばして、座席に寝ることが出来た。

ぐっすりと、寝て、二度目の食事の時に、目覚めて、食事をして、また、寝た。そして到着、一時間前に、目覚めた。


アイスクリームが出た。

サービスがいい。他の航空会社より、良いと、聞いた。


バッグから、羽織を出して、日本到着に備えた。日本は、冬である。

真夏から、真冬に戻る。


私は、思う、古代、三ヶ月をかけて、中国に渡る人々がいた。多くは、学僧である。そして、長年にわたり学んで、日本に戻り、その学んだ教えを伝えた。今、私は、飛行機で、数時間で、各地に行く。さて、古代の彼らと、何が違うか。彼らより、実に、充実して、多くのことを、見聞している。

情報は古代より、遥かに、遥かに多い。

それでは、彼らより、よりよく、生きられるはずである。また、多くの情報から、摂取して、多くの良質な。情報を得られる。

確かに、彼らの、時間軸というものと、私のそれは、違うが、しかし、遥かに、私の方が、条件は良い。

それのみではない、多くの考え方を知り、広く見聞を持って、世界に臨むことが出来る。

大変、申し訳ない、言い方であるが、彼らは、それしか、知ることがなかったゆえに、狭義の、学びに捉われた。

しかし、私は違う。

さまざまな中にあるものからの、様々な情報を、伝えることが出来る。

これこそ、仏陀の唯一の教えであるなどということがないのである。

仏陀の教えも、タイと日本では、全く、別物であるということ。

聖教などというものがないことを、知るのである。

何一つとして、断定するものはないのである。

昔の人は、実に、うまいことを言った。

郷に入れば、郷に入れ。

クミちゃんの家のサンガで、祈る時に、どんな風に祈ってもいいと、言われた。

私たちは、神道の拍手を打ち、祈った。

誰も、咎める者は、いなかった。

バリ島の伝統は、嘘ではなかった。


形に拘るものは、形で終わる。

本来あるべきものは、形を問わないのである。

本来あるものとは、本物ということである。


あえて言う。

型というものは、必要である。

しかし、型を必要としない、日本以外の場で、形を強制されないということは、本物である。

バリ島の、寺院に入る時は、男女問わず、腰巻が必要である。

最低限の、決まりである。

それの無い人には、寺院が用意している。

最低限、守って欲しいと思うことを、準備している。

それでよし。



posted by 天山 at 16:35| バリ島へ 平成19年12月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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