2007年12月05日

バリ島へ 5 平成19年12月

公演会場は、ウブドゥ、クッゥ村の一番大きい寺院の、集会所である。

開演の、一時間前に入るようにと言われた。


少し遅れて、私たちは、到着した。

すでに、ウブドゥのガムラン楽団の人々、舞踊の人々が、集っていた。


私たちは、丁度、プログラムの真ん中に出ることになっていた。


すぐに、浴衣から、着物に着替える。

絽のピンクの着物を着た。

家から踊りの化粧をしてきた、踊り子さんたちが、行き来する。


四人の女の子たちの、衣装が可愛い。

頭に、ウサギの耳をつけている。

彼女たちは、出番が来るまで、踊りの振り付けを練習していた。

楽屋での、その踊りの上手なことといったら、なかった。

バリ舞踊の、基本の所作が、しっかりと出来上がっている。


私と、千葉君は、舞台の出口の横のイスに腰掛けて待つように、言われた。


開演前に、司祭さんが、皆を、清める。


つまり、その芸能活動、音楽、舞踊を、神への供え物として、考えるのだ。


お客の入りは、関係ないのである。

相手は、神様である。


我が身が、供物になるという、感覚である。


それは、日本の神楽に似る。


司祭さんから、聖水をかけられ、三度、その水を手のひらで受けて、飲む。最後にまた、聖水で、清められて、開演である。


ガムランの音が、響き渡る。


出番の女性たちは、その前まで、合掌している。


出口は、舞台の真ん中にある。

神の座から、出るというのだ。


神に捧げると、共に、神に成るのである。

これを、説明するには、多くの言葉が必要である。

今は、その事実だけを言う。


私たちの、出番は、五番目である。


長い時間を、待つ。

女の子たちの出番を見ていると、矢張り、四人が、合掌して待つ。


初めての体験である。

他流試合のような、感覚になる。

そして、考えた。

このような、企画を考えたことを、少し後悔する。

この、バリ島の伝統と、信仰の舞台に、上がるということは、大変なことであると、改めて、感じた。

少し、申し訳ない気分である。


快く、私たちの、時間を与えてくれた、ウブドゥの人々に、心から感謝した。


これは、歌舞伎の中に、バレーの踊りや、オペラが入るようなものである。

そんなことは、考えられない。

それが、出来るということ、ただ、感嘆するほか無い。


出番の前に、私も、合掌して、待った。


千葉君のイスと、譜面台が出されて、私たちは、舞台の真ん中から、出た。


強い光に、客席は、見えない。


私は、言った。

ジャパニーズオールドソング、浮波の港、惜別の歌、そして、オリジナルジャパニーズダンスを、スペイン民謡にて、踊ると。


言う私も、驚くのである。


両側に、構える、ガムランの皆様に、礼をして、始めた。


精一杯歌った。そして、踊った。

それ以外のことは、考えない。

ただ、ひたすら、歌い、踊った。


踊りの途中から、汗が噴出した。


踊りつつ、舞台から抜けた。


拍手が起こる。


楽屋に戻ると、一人の老婦がやってきて、何か言う。

その、老婦は、バリ舞踊の先生だった。


私の踊りを、ずっと、観ていたという。

素晴らしい、素晴らしいと、言ったと聞いた。


ただ、日本舞踊を始めて見たようで、どこの舞踊になるのかと、クミちゃんに、尋ねていたという。

英語が、通じないのだった。

純粋バリ人である。


最後に、ガムランの団長が、私の前に来た。

紹介されて、始めて、団長のいることを知る。


私の汗に驚いていた。

何かを言うが、バリ語であるから、解らない。勿論、インドネシア語でも、解らない。


兎に角、終ったのである。


最後の舞台を見るために、急いで浴衣に着替えて、舞台の後ろに向かった。

最後の舞台は、何と、日本女性である。

バリ舞踊をマスターしての、参加だった。

そして、本日の唯一の、男性舞踊家との、共演である。


男性は、扇子を用いた。

実は、この扇子を用いたのは、日本舞踊の影響からだった。

特殊な、扱いではないが、実に見事な、扇子捌きである。


フィナーレは、女の子たちが、出てきて、客席に降り、客の一人一人の耳のあたりに、花を挿して行く。

それがまた、可愛らしい。


女の子たちが、舞台に戻ると、男性舞踊家が、私たちを舞台に招いた。

そして、何か挨拶をする。

内容は、解らない。


私たちは、一列に並んだ。

そして、写真撮影である。


日本人、欧米人の客、そして、村の人々、昨日の子供たちの、顔もあった。


バリ人は、私の前に来て、何かを言う。

私は、黙って、それを聞いた。


後で、聞いた話である。

私の歌のような、不安定な音程で、歌う歌を、バリ人は、上手だと、認めるという。つまり、彼らは、絶対音感ではなく、言えば、移動音感である。

子音が、主であり、母音の強い日本語では、特に、音程の曖昧さを、好むのである。

それは、音の幅が、あれば、あるほど、勝手に解釈し、自分のいいように、聴くのである。

音程が、確かな歌は、響かないのである。


良い悪いではなく、それが、彼らの伝統の音楽的感覚である。


私の、万葉集の朗詠が、一番、彼らの音感に、ぴったりしていたようである。


これは、新しい発見である。



posted by 天山 at 16:33| バリ島へ 平成19年12月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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