2008年06月07日

タイ旅日記 7 平成20年6月

この旅の、後半である。

チェンマイ市内のホールにての、チャリティコンサートである。


旧市街地、お堀の中にあるホールであり、ホテルから、徒歩5分という、近さである。

4:30入りするまで、私はホテル周辺にいた。


午前中に、タイマッサージを終えて、楽譜を見て、歌詞を覚えた。

実は、一番覚えにくいのが、自分の作詞のものである。

さくらの歌、という歌詞が、また、覚えずらい。

三番まであるのだが、最後の、はらりはらり、とか、ゆらりゆらり、とかの、言葉が、こんがらかるのである。


月の光に照らされて、桜の花びら散るよ、はらりはらり ゆらゆらと

それが、三番まであるから、困る。

一番と二番と三番と、どうなってるんだという、歌詞である。


結局、私は、その歌を、扇子を広げて、歌詞を見て歌った。


40曲ほどある、自分の歌詞の歌は、本当に大変である。


カウンターテナー藤岡宣男は、よく歌ってくれたと思う。そして、今、現在は、辻知子や、森本まり、が、歌う。


勿論、名曲ばかりである。

自画自賛しないでは、いられないのである。


さて、そのホールでは、二度目であるから、慣れたものである。

最初から、伴奏を流して貰い、それを、一度通しただけである。

リハーサルでは、あまり、力まないことである。


ところが、私の場合は、リハーサルで、力尽きて、本番が、とっても良くなることがある。力が抜けて、音程が安定するのだ。


私の歌は、音程が、不安定なところが、いい。

ビブラートが好きで、振るわせる。

だが、それを、少し控えている。

歌は、好みである。

声楽家ではないから、好きなように歌える。


声楽家の歌は、あれは、歌というより、楽譜である。楽譜を読んでいる。

歌は、心である。

しかし、心というのは、実に、難しい。

だから、適当に歌うのである。


その場、その場の、瞬間芸術である。


声楽家の歌で、本当によいと思えたのは、藤岡宣男のみである。


ベルカント唱法というのは、骨格であるから、日本人には、合わない。合わせると、変になる。だから、日本の声楽家は、皆、頭が変になった。

何せ、常識というものを、知らないという、馬鹿者が多い。


胴長短足で、欧米人の真似をするという、滑稽さである。

ホント、憐れである。


日本語の歌を、彼らに歌わせると、よくよく、程度が、解る。

日本語になっていないのだ。


私の方が、日本語である。

日本語の語感を、忘れた、声楽家であるから、おしまい、である。

死んだ方が、マシである。


さて、ホールにて、準備万端となった。


お客様が、すでに、来ている。

日本人、タイ人、何と、欧米人もいる。

およそ、50人である。

タイ人の中には、日本語を、学んでいるという、チェンマイ大学の学生もいた。


最初は、タイ王様の、歌である。

皆、起立する。


そして、私は、日本の国歌の、変わりに、荒城の月を、舞ながら、歌った。

アカペラである。


滝廉太郎は、五線譜に、作曲したが、この曲調は、まさに、大和楽である。


はアるウこウろウのオ

こウろウのオは、こウろゥオろオとなる。


まあ、それは、いい。


二度目であるから、二度目の人もいる。

少し、緊張する。


日本歌曲といわれる歌を、続けて歌う。

歌曲とは、ドイツで言えば、リートである。フランス歌曲、イタリア歌曲である。

何のことは無い、歌である。

歌曲と言うほどのものではない。

翻訳が、拙かった。


ここで、日本の歌について、論じたいところだが、次に続ける。


二部の最初は、野中のイダキである。

アボリジニの、民族音楽である。これが、また、ウケた。

ブーウブーゥ、と、鳴る音である。

私は、控え室で、聞いていた。

とても、良いのである。


民族音楽は、聴こえない音を出すからいい。

聴こえない音。それは、体で聴く音である。

耳には、聴こえない音を、出す。それが、いい。

以下省略。


四曲、童謡を歌った。


童謡は、いい。

簡単な作詞、単純なメロディーである。

だから、どうにでも、歌える。


ほとんど、今は、歌われない歌である。

何故か。

マスコミである。

金になるものしか、歌わせない。


どこの言葉か、知れない歌詞の歌を、流す。

テレビを見ない私も、何度か試して、今時の歌を聴いたが、解らないのである。

どこの言葉なのか、である。


私は、その時、老いというものを、感じた。

解らないということは、老い、なのであろう、と。


しかし、不完全勃起は、しない。だから、悩む。


すべてが、終わり、私は、着替えて、受付に出たが、お客様の、ほとんどは、帰った。


実は、朝、熱を計ったら、微熱であり、コンサートが、終わったら、すぐにホテルに、戻ろうと思っていた。


お客様が、帰られたので、安心して、すぐに、ホテルに帰ることにした。


何せ、明日は、カレン族の村に、行くのである。

ダウンしていられないのだ。


小西さんに、挨拶して、野中と、早々に、ホテルに戻った。

着物は、汗だくになっていた。


もう、外に出て、食事をする意欲も無い。

野中に、パンを買って来て貰い、それを食べて、すぐに寝た。


そのまま、翌日である。




posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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