2007年05月01日

サイパン慰霊 1 平成19年5月19日〜25日

サイパン慰霊記
サイパンには、長年の思いがあった。
20年から15年前にかけて、サイパン旅行から帰る人から、多く相談を受けたことがある。帰国後、具合が悪くなった。霊をみた。軍人の霊である等々。それを聞いていて、いつか、いつかと思っていた。
何事も、時期というものがある。
ようやく、その時期が来た。
サイパン慰霊である。

観光地と化したサイパンになら行くことは無い。そんな暇は無い。

4月22日、現地時間、3時頃到着。3時間半の飛行である。
暑いが苦痛の暑さではない。
一番安い、そして、さらに割引されるツアーに入って行った。飛行機とホテルのみの自由型である。
安いホテルなのに、部屋がやけに広い。
目の前が、エメラルドのビーチである。風景は、言うことなし。
そして、何より、人がいないのである。
ホテルには、一切の余計な音がないのも良い。
少し隣の高級ホテルには、音楽が流れていた。
風と、潮騒で十分である。

慰霊というから、一週間ほど、禊をして、肉を食べない、あれもしない、これもしないという、変な掟は無い。
用意したのは、榊につける、紙である。あの、お祓いに使用する、御幣の紙を適当に切り、用意した。それも、私流である。形に拘らない。
経本は、日蓮宗のもの、つまり、法華経と、曹洞宗のもの、つまり大悲心陀羅尼を唱えるためである。そして、十字架と聖水。聖水は、私の友人のシスターから頂いたもの。確か、ルルドの水も入っていると思う。

私は、着物を着ている。ために、非常に待遇を受けること多々あり。
ホテルでは、夜の食事が出来ないということで、隣の高級ホテルに、ビーチ沿いを歩いて行く。
ビーチでのバーべキューもある。レストランも二つ。食事は、ロビーにある一つの空間でも出来たと、後で知る。
通されたレストランは、一番高いところ。知らずに行く。
やたらに高いのである。
しょうがなく、安いものを探して、注文し、とりあえず食べた。
飛行機に乗ると、ビール一杯でも酔いが早いのがいい。すぐに酔った。
サイパンはドルである。支払いすると、日本円で、ふたりで食事して六千円程度。私には、高い。サイパンは、兎に角、高い。物価も高い。後で、それは、書く。

サイパンに人が住み始めたのは、紀元前2000年頃である。
インドネシア、マレーシア、フィリピンなどの東南アジアからカヌーに乗ってやって来た。チャモロ人だといわれる。
1521年、スペインのマゼラン率いる探検隊がマリアナ諸島を発見する。
1564年、スペインが領有を宣言する。以後、スペインによる植民地支配が始まる。
当然、キリスト教の布教が始まる。しかし、これが元で、島民と軋轢が生じて、スペイン・チェモロ戦争が23年間も続く。
5万人いた島民は、1720年には、2000人になった。しまいに、グアム島に移住させられたというから驚く。
1800年代はじめに、カロリン諸島の人々が移住を許されたというから、また驚く。
植民地政策と、キリスト教布教は同時に行われる。
政治も、精神的事々も、皆支配するのである。

1898年、スペイン・アメリカ戦争でスペインが敗北し、グアムをはぶくマリアナ諸島をドイツに売り渡す。
ここまででも解る通り、武器を持つ者が、当然のごとく島民を殺すということである。それも、宗教的対立である。5万人が、2000人である。こくごとく殺す。カトリックの極悪非道は、目に余る。いつも、どこでも同じである。しまいに、グアムに強制移住である。

あれほど、立派な教義を持つカトリックが何故、皆殺しを平気でするのかということである。基本は、白人支配である。白人は人であるが、他は、人ではないという意識である。
実に、傲慢、超傲慢である。
愛の思想など、無い。
アメリカインディアンが根こそぎ殺された。キリスト教徒によってである。あれは、プロテスタントである。
そして、アフリカから奴隷を連れて来て、働かせた。とどのつまり、今でも、彼らには、有色人種は、人ではないのである。

さて、1914年、第一次世界大戦勃発。そこで、日本は、ミクロネシア諸島をドイツから、無血占領した。
以後、日本ら多くの移住者があった。
その中で、有名なのが、砂糖王と呼ばれる、会津若松出身の、松江春治である。立派な人である。
1919年、ヴェルサイユ講和条約から国際連盟の決定によって、赤道以北のドイツ領を日本が委任統治することになる。

平和な島民の暮らしが、武器を持つ勝手な考えの、国々、国際連盟などという集いを持って、勝手に支配権を決めるという暴挙である。しかし、時代である。歴史である。

日本占領により、進出していた製糖企業は、害虫などの被害、そして戦後の恐慌に見舞われ、撤退、倒産する。
その中で、苦心惨憺、松江春治が、南洋興発株式会社を設立し、サイパン、ロタ、テニアンに、サトウキビ栽培と、製糖事業で成功する。
何と彼は、サイパンに鉄道を敷き、日本に砂糖を輸出する。
島民にも愛され、シュガーキングとして親しまれた。

銅像にされた松江に、島の子供たちは、いつも挨拶していたというから、その信頼は絶大だった。朝は、おはようございます、松江さん、帰りは、また明日、松江さんと言う。松江を知らない人はいなかった。当時、日本人は、5万人ほど住んだという。すべて、松江の会社の関係者である。

しかし悲劇が起こる。第二次世界大戦である。
1941年勃発。
1944年6月15日、アメリカ軍がサイパンに上陸し、山中での烈しい戦闘が繰り広げられる。南から北へアメリカ軍が日本軍と、民間人を攻め続ける。
最終的に、追い詰められた兵士、民間人は、マッピ山山頂の、ラデラン・バナデロやプンタン・サバネタから身を投げて死ぬ。
プンタン・サバネタは、バンザイ・クリフとも呼ばれる。
「天皇陛下ばんざい」と叫び、飛び降りたからである。

アメリカ軍は、7月9日、サイパンを占領した。
1945年、サイパンの隣の島、テニアン島から、あの原爆を積んだ、B-29が飛び立つ。
その年、日本は無条件降伏をする。
旧日本領は、アメリカを施政権国とする国連信託統治領となる。
北マリアナ諸島は、一般投票により、1975年、アメリカの自治領となることを決定。
現在、北マリアナ諸島連邦として、アメリカの自治領となっている。


posted by 天山 at 16:04| サイパン慰霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。