2014年12月19日

霊学189

そして人間の肉体に働き掛ける本性たちは鉱物的自然を形成する本性たちと同一である。人間のエーテル体に働き掛ける本性たちは植物界に生きる本性たちと同一であり、感覚する魂体に働き掛ける本性たちは、動物界で感覚的には知覚できぬ仕方で生きながら、その作用を鉱物界、植物界、動物界にまで及ぼす本性たちと同一である。
このような仕方でさまざまな世界がともに働いている。人間の生きる世界はこの共同作用の表現なのである。
シュタイナー

何故、このように、複雑して、説明するのか・・・
松尾芭蕉は、松のことは、松に、竹のことは、竹に聴け、と言った。
それで、十分に納得がゆくのである。

感性的世界をこのように把握した人は、上述した四つの自然界以外の本性たちについても理解をもつことができるであろう。このような本性たちの一例は民族霊である。
シュタイナー

この民族という言葉が、いかに、曖昧なものか。
シュタイナーは、野蛮極まりない、民族の末裔であろう。

おおよそ、西欧の民族の出所は、そのようである。
しかし、その民族を民族として判断すると、誤るのである。

民族精神とも、言っているが・・・

更に、時代霊、時代精神についても、同じである。

人間の周囲に生きているその他の高級、低級さまざまの多様な眼に見えぬ本性たちについても、このような見方によってはじめて霊的展望が開けてくる。
シュタイナー

見霊者が、サラマンダー(火の精)、シルフ(風の精)、ウンディーネ(水の精)、グノーム(地の精)として描いているものはすべてこのような低級な種類の本性たちである。
シュタイナー

それは、誤りである。
火、風、水、地の精は、低級ではない。
神と呼んでもいい精霊である。

まして、その精を見るとは・・・
簡単に、見霊者というが・・・

感覚的現実だけを認めようとする人がこれらの本性たちを混乱した幻想と迷信の産物と見做すことは当然である。それらが感覚的に知覚できる体をもっていないのだから、肉眼で見ることは当然できない。迷信とは、人がこれらの存在を現実にあるものと見做すことにあるのではなく、それらが感覚的に現象すると信じることにある。
シュタイナー

それらが感覚的に現象すると信じることにある
だから、比喩なのであろうか。

それでは、すべての書くものが、比喩なのであろう。
比喩にしては、作り過ぎている。

比喩だから、このような混乱を招く、著述を良しとするのだろうか。

このような表現の中に霊的現実の比喩を見る人が迷信家なのではなく、この比喩像が感覚的に実在していると信じる人や、この比喩像の感覚的実在を否定せねばならぬと信じるあまり、霊をも否定する人が迷信家なのである。
シュタイナー

何とも・・・
比喩像などという、馬鹿げた表現である。

魂界まで下降せず、その外皮が霊界の素材だけで織られているような本性たちについても述べる必要がある。人は、霊眼と霊耳を開くときには、それらの存在を知覚し、それらの仲間になる。
シュタイナー

これで、どれ程、勘違いしている人たちが、存在するのか。
それが、恐ろしい。

存在の高次の領域を明瞭に認識し、そこに生じる事柄の中へ理解力をもって入り込むことだけが、人間に本当の確信を与え、その真の使命を目覚めさせる。感覚には隠されている事柄への洞察を通して、人間は自己の存在を拡大する。その結果、拡大される以前の生活が彼にはまるで、「世界について見ていた」としか思えなくなるのである。
シュタイナー

恐ろしく、蒙昧な時代に生まれたせいなのか・・・
ここまでの、比喩を使い、表現するという、根性には、脱帽する。

そして、次ぎは、思考形態と人間のオーラ、についてが、書かれるが、省略する。
ただ、混乱を起こすだけである。

続いて、認識の小道、という、最後の章に入る。
ここでは、洞察するという、実に有意義な事柄が、書かれている。

シュタイナーは、一つの思想を描くために、多々、著述をしたのだろう。
そして、霊学という、新しい、学問足り得ない、分野を開拓した。

更に、これでは、シュタイナー教になるだろう。

霊界を語るには、比喩的表現のみ、実現できる。
霊界を、この世の言葉で語ることは、至難の業である。

決して、誤ってはいけないことは、このシュタイナーの霊界も、一つの姿であるということである。
霊界の、すべてを書き表したというならば、完全に誤るのである。

更に、霊界とは、この宇宙の中に存在している世界であり、この世、三次元の世界も、霊界の一部である。

同じ空間には、別次元の世界が、存在する。
次元が違えば、永遠に遠い。

霊界とは、この世を含めた、宇宙の多次元の世界である。
それを、一つの括りで、表現することは、完全に無理である。

そこを、誤らずに、霊界を追求するには、問題がない。
ただし、それは、確実に、不完全なものであるということを、認識するべきだ。



posted by 天山 at 02:50| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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