2014年12月17日

国を愛して何が悪い168

ここで、恐るべきことを書かなければならない。

古今集が成立するのは、醍醐天皇の、延喜五年、905年である。
それから、半世紀後に、万葉集に、ひらがなの訓読みを、添えたという。

つまり、それまでは、漢字の表記で為されていて、知る人ぞ知るものだったということである。

平安期から江戸時代まで、歌の正統として、認められることがなかった・・・
更に、その、万葉ぶりを示そうとしたのは、鎌倉時代の、実朝ただひとりである。

紀貫之の古今集「かな序」をみてまず驚くことは、貫之はじめ選者たちが、「万葉集の実体」について殆ど無知であり、無関心であったという事実である。わずかに人麿と赤人の名をあげているが、その作について、本質的なことは何一つ言っていない。古代歌謡についてもすさのをのみことの「八雲立つ」を和歌のはじめとして系譜づけているだけだ。
亀井

つまり、万葉集が成立して、僅か百数十年を経て、当時の最高の知識階級に属する人たちの、その有様は、実に不可解である。

漢詩に対して、和歌の正当な位置を恢復しようとした貫之たちは、そのためには絶好の場にいたと想像するわけだが、彼らはまるで知らないのである。あいまいな断片的知識か、或いは口伝によって、おぼろげに伝え聞いていたとしか思われない。実はこれが日本の歌の、より正確に言えば短歌の伝統となったのである。
亀井

古今以降、歌は、長歌なく、和歌とは、短歌になって行くのである。

振り返ると、大伴家持没後、暫く死滅され、平城天皇時代に、再編纂され、再び死滅して、平安期のある時期に取り上げられた時に、今度は、その時代に伝えられた歌が、混入するという場合も、あっただろう。

それは、人麿集にも、見られる。その他にも、どのような変化が起こったのか。
と、いうことは、伝われるものがあったということは、伝わらないものも、あったということである。

万葉集の4500首余りの背後に、消滅した歌が、その何倍も存在したのかもしれない。

整理すると、日本の歌の伝統とは、勅撰集である、古今集に元があるということになる。

では、万葉集は、その後、どのような経緯を経たのか。
現在、存在している万葉集は、明治45年から大正13年の間であるという。

そして、全国的な研究が普及したのは、昭和になってからである。
宝物が、眠り続けていた・・・

正岡子規が、万葉集を高く評価したのは、明治31年である。
その有名な言葉、
貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集に有之候
である。

つまり、当時の正統派と言われる、宮廷歌所の歌人たちに対する、憤怒と抵抗を示したのである。

淳仁天皇の三年、759年に、万葉集の歌は終わっている。
千二百余年後に、ほぼ完全に発掘されたことになる。

9世紀に、消滅する可能性もあったということだ。

歌の伝統は、勅撰集という形で、続いていたのだ。

ただ、救いは、五七調、七五調という、音の伝統は、残ったのである。
それは、日本語の、日本人の、息遣いだと言うしかない。

極めつけは、俳句の五・七・五である。
和歌、短歌は、三十一字である。

世界的に見ても、その言葉の短さは、日本のみである。
更に、日本語の場合は、音の一つ、シラブルであるから、突起している。

その音の一つに、意味があっという説も、納得出来るものだ。

とすると、その断絶の間・・・
果たして、現在の万葉集の解釈、研究というもの・・・
言った者、勝ちになるようである。

解釈の氾濫により、逆に実体を見失う危険もある。

さて、およそ三世紀の間に渡る、精神生活の複雑な、万葉集と、古今集を比べることは、無理がある。

万葉集は、単なる歌集を超えている。

むしろ歌、物語、日記をふくむ女房文学全体と比較すべきものである。
亀井

万葉集の最終歌から、150年目に、古今集が出来上がった。

八世紀から九世紀全体にかけて、当時の精神史の核心を形成するものをあげるならば、誰しも唐化の激しい影響をみとめないわけにはゆくまい。
亀井

現代であるから、万葉集から、古今集、そして、新古今集と比較して、見渡すことが出来る。
私も、万葉集から、もののあはれ、について、見つめている。

それは、時代を俯瞰出来るからである。
その時代にいると、その時代からの視線でしか、見られないことが、多々ある。
しかし、過ぎた時代を、総括して、俯瞰することは、出来るのである。

矢張り、日本人の心性は、脈々と続いていることを、実感する。
勿論、その時代その時代の、精神性というものは、大いにあることは、事実である。

当時の唐化の影響は、甚大である。
また、それゆえに、日本の文化に大きな深みと、影響を与えたのだ。

新しいものに、触れるという、感動は、人の心を飛躍させる。
平安期も、そのようであった。


posted by 天山 at 06:15| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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