2014年12月12日

国を愛して何が悪い166

ここで注目したいのは、漢字を「崩し」て行った事実である。「片かな」における省略と同一視してはなるまい。「崩し」は、単に便宜性とか安易性のためであったろうか。そういう点もあったろうが、根本的に考えるなら、日本人の精神の生理に深く根差したところに生じた現象ではなかったか。
亀井

ひらがな、の、ことである。
この、ひらがな、によって、日本語は飛躍的に表現の幅が広がった。

漢字が到来した時は、厳格な楷書である。

平安期に入ると、その「崩し」の傾向が強くなり、行書が、そして、草書が出来る。勿論、ひらがな、によるものである。

そして、日本独自の書体が成立したと言っていい。

漢字の、思い切った、草書化である。
更に、ひらがな、の奔放とも言える、連続により、その書体が、絵画美のように、描かれるという。

それを、書道では、連綿体と呼ぶ。

平安期の「女文字」としても、ある一点の崩しが、更に、崩しを呼び起こすという。

これは書だけではなく、そもそも日本人の発想自体に内在していたものではなかろうか。
亀井

だが、それは、言葉だけに言えるのではない。

唐の文化、その他の文化に接した時に、表れる固有の現象である。
日本人の特性としておく。

独自の創意工夫によって、新たなるものに、変容させる、力である。

私は書体の変化、とくにひらがなの発生から推して、この過程を「草化現象」とよびたいのである。
亀井

例えば、建築や、造型、それは、仏像などにも、反映される。

建築も、楷書、行書、草書のように、変化してゆくのである。

しかし、亀井は、
平安期にみられるこの現象を、中世風の「枯淡」「侘び」と混同してはならない。
と、言う。

確かに、中世のそれは、また、違う意味でのものである。

寺院建築に対して言えば、奈良時代は、豪壮絢爛たるもので、平安期は、優美華麗である。そういう形での、草化現象である。

それは、その奥に、密教芸術から、浄土芸術への移行も、合わせて考えたい。

漢字やその楷書体はむろん永続するが、それだけに徹することが出来ない日本人の「生理」と言ったものがあるようだ。ひらがなを発明せずにおれない、それなしに適応し消化しえない固有のものがあるらしい。
亀井

鋭い、観方である。

適応し、消化し得ない固有のもの・・・
これが、日本人の特性である。

そして、それは、風土、生活様式、食物、体質など・・・
借り物では、済まない、固有のもの、である。

私は、特に、その風土を重く見る。
日本の自然の有様は、独自の風土である。

インドなども、似ているが、それとも違うのである。
四季折々の・・・という、枕詞が着くほどの、自然の有様である。

異質の文化に直面して、激しく対決するのではなく、際立った対話もない。まず適応しながら、その過程で、自然現象のように対象を変化させてゆく。つまり柔らかく「崩し」てゆくわけだ。受動的だが、この姿勢の由来するところは、かなり深いようである。
亀井

卓見である。
自然現象のように対象を変化させてゆく・・・

これが、日本人なのである。
それを、一時期は、曖昧などという、批判めいた議論が起こったが・・・
違う。

物事を、自然現象の如くに捉えるという、特性である。

これが、日本の心を作ったのである。
それは、太古、縄文期から、培われてきたもの。
それを、一言で言えば、和、である。

和とは、やまと言葉で、やわらぎ、と読む。
縄文期に戦いという事実が無かったことが、知られていた。
更に、犬までも、埋葬したという、心根である。

推古天皇の時代の、聖徳太子が、和をもって貴しという、それ以前から、和の精神に、満ち溢れていたことが解るのである。

弥生時代に入り、戦いというものが、現れてくる。
それは、渡来人による、観念として、私は見ている。

稲作が始まり、穀物の貯蓄をするようになり、領土の争いから、始まったようだが・・・
違う。

縄文時代の後期、500年頃から、稲作が始まっているからだ。
弥生から稲作が始まったというのは、間違いである。

縄文土器の文様には、争いの場面は無い。
大胆で、大らか、朗らかな文様が多いのである。


posted by 天山 at 08:12| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。