2014年12月08日

神仏は妄想である。512

ナーガールジュナが二つのものの関係を最終的には二つの対立概念の相互依存性に還元したのは、それぞれの概念が自立的に存在する本体をもたない、ということを知らせるためである。
研究家

本体とは、固定した意味をもった概念の外界における対応物である。

原因と結果などの対立した二つの概念の一々には本体はない。

更に、ことばの意味する特性によって、定義される対象は、実は、どこにも存在しないという。

まさに、否定の論理である。

ナーガールジュナによれば、壺ということばとその対象である壺そのものとには同一という関係も別異という関係もない。もし同一ならば、壺といったときに、外界に粘土・轆轤・水などの原因がなくても壺が生じてくるだろうし、壺ということばを理解したときに壺が存在することにもなろう。また、壺と発音をすれば口がいっぱいになり、火と発音をすれば唇が焼けるはずである。しかし実際にはそういうことはおこらない。しかし、壺といわれても壺という対象が言及されないことになるから、それも正しくない。
研究家

呆れるほどに、分析を良くする。
ホント、ご苦労である。

すると、ニヤーヤ学派は、ことばというものは世間に共通な契約によって使用されるものだから、ことばと対象との間に存在としての一致を要求することはできないと、言う。

すると、ルジュナは、ニヤーヤ学派は、認識・認識の対象などの十六範疇をたて、その完全な理解によって解脱を得ることを目的とする学派であるとする。

「論議」ということばの問題もその範疇の一つである以上、いまの問題は単に世間の契約や習慣に関するものではなくて、最高の真実にかかわっている。・・・
そういう契約や慣習だけのことから解脱が得られるなら、無知な牧夫ですらも解脱することになろう。通常の言語使用という点では賢人も愚人も差別はないから、ことばの理解をとおして解脱を望むということは笑止なことになる。
研究家

結論は、ことばと、その対象とには、一定の結びつきは無い、となる。

ここで、聞き捨てならない言葉がある。
そういう契約や慣習だけのことから解脱が得られるなら、無知な牧夫ですらも解脱することになろう。

無知な人は、解脱出来ない・・・
それでは、限られた人しか、解脱など、出来ないということだ。

こんな、面倒な、理屈の数々を踏まえないと、解脱、悟りが得られないとは・・・
呆れる。

論破するための、議論であれば、それはそれでいいが、解脱、仏の世界に入られない人が、大勢いるということだ。
それでは、大乗の精神に反する。

つまり、仏は妄想なのである。

とことん追求して、仏が妄想だとは、ルジュナさんも、解らなかったのである。

いや、それよりも、それが、仏の道に行くものだと、言い切るのである。

それでは、まだ続ける。

定義の不可能性である。
「中論」第五章である。

そこでも、ことばの問題が取り上げられる。

空間の概念を取り上げて議論するという・・・
ニヤーヤ学派の学説によると、単一・偏在、そして恒常な実体である。説一切有部では、この宇宙の容器としての空間を虚空と呼び、涅槃とともに、生滅のない、無制約的なもの、つまり無為に、含めている。
また、それとは別に、現象の世界にある、物体と物体との間にある隙間を、空界と呼ぶ。

これは明暗を本体とし、抵抗性をもたないが生滅することのある物質的存在であって、宇宙的空間としての虚空とは別のものである。六大のうちの空とはこの空界のことである。しかしこれら二つの区別は説一切有部に限るもので、ふつうしばしば同一視される。さらに、経量部・中観派・唯識派などは空間を観念的設定として認めるだけで、それに実存性は与えない。
研究家

ルジュナが、ことばと対象の関係を否定するために、空間を例に取り上げた。
その定義が、一定しないことからである。

この議論に導入された相関概念は、特質、ラクシャナと、その対象である。

ラクシャナはものに備わる特質である。と同時に、特質づけるものとしての定義であり、ことばの意味を表す。
ラクシャナは、定義されるものである。

ものの特質といっても、そのものに対する人間の定義、理解を別にしてあるわけではない。空間の特質は、抵抗性のないもの、という定義であり、他の特質は堅い性質、という定義である。
研究家

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない。もし定義よりも前にあるとすれば、それは定義されていないものとなってしまおう。5・1
けれど定義されていないものなどはどこにも存在しない。定義されていないものが存在しないときに、定義はどこにおいて行われようか。5・2
定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。5・3

と、ナーガールジュナが、解く。

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない・・・

このルジュナさんの、方法は、もう、見え透いてきた。
相手の論に対して、如何様にも、対処する。
それは、否定が、一番である。
否定を主にして、論ずれば、ルジュナさんのように、嫌らしい人間になる。



posted by 天山 at 06:19| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。