2014年10月06日

霊学181

この世に生をうけた人間は、物質界で創造活動を行なう。彼は霊的存在として創造活動を行なう。
シュタイナー

何故、霊的存在が、この世に生まれるのか・・・
誰もが、答えを出せない。

この世と、あの世・・・
あの世とは、次元を別にする世界である。

多くの宗教、その他、精神世界を扱う人々は、皆、そのように言う。
この世は、仮の宿とは、日本的な言い方である。

実相の世界は、あの世なのである。
では、何故、人間は、この世に生まれるのか。生まれなければならないのか・・・

死後の世界が、本当の世界実相の世界だとしたら、別に、生まれる必要はないのである。

何故、生まれる。
実に単純なことで、生まれたくて、生まれてきたのである。

因果律というものが、あれば、それである。
原因は、生まれたい、のであり、結果が、生まれたのである。

物質界の霊的存在として、創造活動をする・・・
上手く言ったものである。

彼は霊界の使者として、霊を物体界に同化させる。人間は肉体をもつことによってのみ、物体界に働きかけることができる。彼は肉体を道具として使用しなければならない。そうすれば物体的なものを通して物体的なものに働きかけることができるし、物体的なものが彼に働きかけることもできる。けれども人間の体的本性を貫いて働きかけるものは霊に他ならず、物体界で作用するための意図、方向は霊からきている。
シュタイナー

上記は、単に、
人間を突き動かしているものは、霊に他ならない。
で、言い尽くせる。

何故なら、人間は霊的存在であると、言うのであるから。

動物たちとは、人間は違うのである。
それは、霊的存在だから・・・
いや、動物たちも、霊的存在である。
だが、人間は、思考ができる。それは、大脳化ゆえである。

さて霊が肉体内で働く場合、霊としての真の姿で存在することはできない。いわば物質存在のヴェールを通して輝き出ることができるだけである。したがって人間の思想生活は本当は霊界に属しており、それが物質的存在の中で行なわれる場合、その真の姿はヴェールに被われている。肉体をもった人間の思想生活は、この生活が本来属しているところの真の霊的存在の影像であり、反映である。
シュタイナー

当たり前のことを、何度も書き付ける。
更に・・・
物質存在のヴェールを通して・・・
その真の姿はヴェールに被われている・・・

やたらに、面倒な説明である。

物質のヴェールを通して、更に、そこで真の姿は、ヴェールに被われている。
これも、比喩的なのであろう。

問題は、
肉体を持った人間の思想生活は、この生活が本来属しているところの真の霊的存在の影像であり、反映である。
つまり、無いということである。

この世の、物質界は、無いというのである。

ここ、ここに至ると、生まれてくるのは、遊びに来ているようである。
しかし、シュタイナーは、大真面目である。

私は、時々、別の見方をしてみる。
この世は、地獄である。地獄というものは、この世のことであり、今、地獄の世界で生きていると。
一方では、少数の人たちが、満腹に食べて、一方では、大勢の人たちが、飢えている。
こんな世界は、地獄に相応しいのである。

更に、紛争、戦争という、人殺しが、頻繁に行なわれる。
大災害で、多くの人命が奪われると、極端な判断をする人々・・・
それは、神の罰である、とか、神が彼らを浄化するために・・・云々

何とでも、言うし、言えるのである。

シュタイナーは、危機意識を持って、この神秘学を提唱していたが・・・
どんな危機意識か・・・
宇宙意識の進化に、寄与する・・・

だから、延々と、
このように、物質生活をおくる霊は、肉体を基礎として、地上の物体界と互いに作用しあう。
シュタイナー
という、暢気なことを、書けるのである。

一体、こんな説明が必要なのか・・・
肉体を基礎として・・・当たり前のことを言う。

これは、一種の文芸である。
勿論、この文芸を奉じて、何やらやるのも、いいだろうが・・・

これで、修行などした暁には、この世から、遊離するだろう。
現に、多くの人が、遊離してしまった。

シュタイナーを翻訳する人は、本を出すことで、満足するだろう。
新しい思想、考え方等々・・・

人間の霊は死ぬ度に、繰り返してこの霊たちの国に生きなければならない。
シュタイナー
それは得たものによって、用意を新たに、ふたたびこの世での仕事につくことができるためなのである。
シュタイナー

信じるしかなくなる。



posted by 天山 at 07:07| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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