2014年09月26日

伝統について74

荒熊の 住むとふ山の 師歯迫山 責めて問ふとも 汝が名は告らじ

あらくまの すむとふやまの しはせやま せめてとふとも ながなはのらじ

荒々しい熊がすむという、山の、しはせ山。その名のように、責め問われても、あなたの名前は、告げるまい。

男の歌である。
心に秘めた恋。

責め問われても、言わないというのが、恋の証しだ。

妹が名も わが名も立たば 惜しみこそ 布士の高嶺の 燃えつつ渡れ

いもがなも わがなもたたば おしみこそ ふじのかたねの もえつつわたれ

妻も名も、私の名も、評判になったら、惜しいので、富士の高嶺のように、心で燃え続けているだけだ。

この歌も同じく。
何故、名が知れたら、惜しいのか・・・
当時の様子を知る必要がある。

当時の恋の噂は、失恋を招くほど、大変なことだったのだろう。

行きて見て 来ては恋しき 朝香潟 山越しに置きて 寝ねかてぬかも

いきてみて きてはこひしき あさかがた やまこしにおきて いねかてぬかも

行ってみて、美しく思い、帰ってきては、恋しいあさか潟のような、女性を、山の彼方に置いては、眠られないことだ。

相手を、山に喩えている。
そのような相手を、恋している。
そして、眠られないのだ。
片恋である。

安太人の 梁うち渡す 瀬を速み 心は思へど 直に逢はぬかも

あたひとの やなうちわたす せをはやみ こころはおもへど ただにあはぬかも

安太の人々が、梁を渡す瀬が、早いように、人の噂が激しいので、心には深く思うが、直接には、逢えないことだ。

梁とは、魚を捕る道具である。
その動きが早いように、噂もあっという間に、広がる。
だから・・・
噂にならぬように、逢えないのだ。

玉かぎる 石垣淵の 隠りには 伏してこそ死ね 汝が名は告らじ

たまかぎる いしがきふちの こもりには ふしてこそしね ながなはのらじ

玉が輝く、石垣淵のように、隠れてばかりで、逢うこともせず、恋に苦しむ時には、病み伏して死のうとも、お前の名は、告げない。

当時、名を名乗るということは、大変なことだった。
相手に、我が名を知られるということは、その時点で、相手を受け入れる、また、受け入れたと考えた。

名を言うことは、すでに、完成した状態になるのだ。
だから・・・
当時の人たちは、名に対して、とても、強い思いを抱いた。

名を名乗ることは、私を相手に差し出すこと。
だから、恋愛における、名乗りは、すでに結婚成立なのである。

人が噂を流せば、それが元で、すでに成ることになる。
注意深くなければ、噂に流される。

何とも、いじらしい。



posted by 天山 at 07:09| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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