2014年09月07日

霊学180

「霊界」の第三領域としては、一切の魂あるものの原像が挙げられねばならない。人はここでは、はじめの二つの領域よりも、もっと精妙な領域の中にいる。比喩的にそれを「霊界」の大気圏と名付けることができる。
シュタイナー

この、比喩的が、問題である。
別の人が、それを表現しようとすれば、別の著し方になる。

物質界や魂界で魂がいとなむすべては、この領域にその霊的対応物をもっている。一切の感情、本能、情念は霊的な在り方でこの領域内にもう一度現れる。
シュタイナー

読み進むにつれて、益々と、解らなくなる、世界である。

この霊界の大気圏における気象状況は物質界、魂界での生物の苦しみと喜びに相応している。人間の魂の憧れは微風のように現れる。激情の発作は暴風のようである。
シュタイナー

これは、当然なことである。

この領域の観察内容に通じている人は、どの生物に注意を向けても、その生物の嘆きに深く入っていける。
シュタイナー

すべて、比喩である。
いや、比喩的なのである。

第四の領域の原像は物質界、魂界とは直接関係をもたない。この原像は或る点では、以下の三領域の原像を統率し、相互の連繋を可能にする本性たちである。したがって彼らは下位の三領域の原像に秩序を与え、組分けする仕事に従事している。だからこの領域は下位の三領域よりももっと包括的な役割を引き受けている。
シュタイナー

更に、第五、第六、第七領域がある。

これらの領域の本性たちは下位領域の原像に活動の原動力を提供するのだから。
シュタイナー

本性たちは・・・
これも、比喩的なのである。

この高次の諸領域にまで上がることのできた人は、われわれの根底にある「意図」を知るようになる。
シュタイナー

実に、曖昧で、漠然としている。
つまり、比喩的なのである。

ここにも思考存在として多様極まりない形式をとっている原像が、生きた胚種として存在している。
シュタイナー

この言葉の数々を、説明抜きでは、理解できないのである。
そして、それを説明できるのは、ただ一人、シュタイナーのみである。

物質界における人間精神の創造性の源である諸理念は、霊界の高次領域におけるこの思考種子の影であり、残照である。
シュタイナー

壮大な言葉の羅列は、人をかく乱させる。
非常に危険である。

ここで知っておく必要があるのは、以上の思考種子が合成されたものだということである。思考世界の成分からいわば胚乳だけが取り出される。そしてこの胚乳が本来の生命の核を包んでいる。この生命の核とともに、われわれは「三つの世界」の限界に達したことになる。なぜならこの核は三つの世界よりももっと高次の諸世界に由来するのだから。
シュタイナー

人間以外の世界(宇宙)存在者たちにも同様の生命核が存在する。これらの核はもっと高次の諸世界に由来し、自己の使命をそこで成就するために、この三つの世界に移されているのである。
シュタイナー

これは、もう、オカルトと、呼んでもいい状態である。

このシュタイナーの世界から、能力を得ている人たちは、それを本当に理解しているのかどうかは、解らない。
シュタイナーの比喩的著作から、その意味を汲んで、勝手に理解し、あるいは、行為しているのである。

更に、それが、他人を巻き込むような行為ならば・・・
罪である。

これは、宗教を信じるのと、同じ扱いになる。
極めて、個人的な行為である。
シュタイナーの著作を批判しても、彼らを、批判する事は出来ない。

次ぎは、死後の霊界における霊・・・

人間の霊は、死後から新たに再生するまでの途上で、「魂界」を遍歴した後「霊界」に入り、新しい肉体をうけるための機が熟すまで、そこに留まっている。
シュタイナー

それを事細かく、書き続けるのである。
だが、それも比喩的である。
次元を別にする世界を、描くのは、妄想に陥る。

勿論、妄想でなければ、書くことが、出来ないだろう。
想像ではない。

この「霊界」潜在の意味を理解するには、輪廻転生の意味が正しく解釈できなければならない。
シュタイナー

二度と生まれないために・・・
と、インドでは、修行に励んだ。
そのインドの思想家たちでも、輪廻転生に関しては、明確ではない。
明確なのは、この世の、理論である。

その、シュタイナーの、輪廻転生の意味を、知るべきことが、必要である。

輪廻と、転生に関しても、人それぞれが、違うのである。



posted by 天山 at 05:59| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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