2014年09月02日

伝統について73

白袴の わが衣手に 露は置き 妹は逢はさず たゆたひにして

しろたえの わがころもでに つゆはおき いもはあはさず たゆたひにして

白袴の私の袖に、今や霜がおき、あの娘は逢ってくれない。ためらっているのだ。

たゆたひにして・・・
この心情こそ、日本人の心の底辺に流れる風景だ。
それが、曖昧さと、非難された時代もある。
しかし、たゆたひ、こそ、心象風景の美しいものはないと、日本人は思う。

かにかくに 物は思はじ 朝露の わが身一つは 君がまにまに

かにかくに ものはおもはじ あさつゆの わがみひとつは きみがまにまに

あれこれと、物思いは、しない。朝露のように、儚い私の身の上は、あなたの心のままに。

つまり、委ねると、言う。

私の身は、あなたに委ねる。
恋の最高の心境である。

相手に、委ねるほど、恋している。

夕凝りの 霜置きにけり 朝戸出に いたくし踏みて 人に知らゆな

ゆふこりの つゆおきにけり あさとでに いたくしふみて ひとにしらゆな

夜のうちに、凍った霜が置いている。朝戸を開けての帰りに、強く踏んで、音を立てて、それと人に知られるな。

逢引の後の朝である。
人に知られぬようにとの、強い思い。

かくばかり 恋つつあらずは 朝に日に 妹が履むらむ 地にあらましを

かくばかり こひつつあらずは あさにけに いもがふむらむ つちにあらましを

これほど、恋に苦しまずに、朝となく、昼となく、いつも妻が踏む土なら、よいものを。

自分が土になり、ついも、妻に踏んでいて欲しい。
つまり、いつも、一緒にいたいのである。

このような、比喩を用いる歌詠み・・・

あしひきの 山鳥の尾の 一峯越え 一目見し児に 恋ふべきものか

あしひきの やまとりのおの ひとをこえ ひとめみしこに こふべきものか

あしひきの、山鳥の尾ではないが、一峯を越えて、一目見たあの娘に、恋していいのか。

一目惚れである。
瞬間の恋・・・

吾妹子に 逢ふ縁を無み 駿河なる 不尽の高嶺の 燃えつつかあらむ

わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ

吾、妹子に逢う術がない。駿河の富士山の高嶺のように、心だけが燃え続けいよう。

自分に言い聞かせる様子である。

逢う術がないとは、片恋の苦しみか・・・
相思相愛ならば、尚、苦しいだろう。

燃えつつかあらむ・・・
続けて、恋して行くと、宣言している。

実に素直で、純朴である。

日本の心・・・



posted by 天山 at 05:46| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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