2014年07月05日

国を愛して何が悪い142

罪の観念よりも前に、まず「わざはひ」と「けがれ」という意識が、古代にさかのぼるほど強かったと言えるだろう。祝詞をみても、「犯してはならぬ」という神の絶対的命令とか戒律のような調子は全然ない。神々の存在が即物的であったように、「わざはひ」「けがれ」も即物的であって、事の起こったとき、受動的に「罪」という言葉が発せられたのではなかろうか。当初はこの言葉もなかった筈だ。漢字の「罪」をあてたわけだが、「つみ」についての思索、その感情的表現すらも稀薄である。
亀井

確かに、そのようである。
だが、本来、ツミという言葉は、恵みを表していた。
海神、わだつみ・・・

海の神と書いて、わだつみ、と呼ぶ。
この場合は、ツミはカミであり、恵みである。

漢字の、罪、ザイという言葉を、神の別の面として、捉えた可能性がある。
それが、災いである。

そして、その神を、荒ぶる神と、呼んだ。

山神、やまつみ、も同じである。

時に神々が、荒ぶる神にもなるという・・・

更に、面白いことに、死後の世界である、黄泉の国へ行った時にも、生前の罪に対する、裁きが無いのである。
これは、世界の神話を通しても、異例のことである。

それほどに、日本の風土が、人に優しかったと言える。

ただし、仏教伝来以降は、地獄という観念が植え付けられて、地獄における、裁きという、観念が生まれる。

最初の死後の世界、黄泉の国は、ただ、汚濁、災禍の世界に過ぎない。

それも、風土にあると、いえる。
日本の古代人は、地震、噴火、洪水、台風、旱魃などに、しばしば襲われた程度であり、異民族との虐殺の歴史などは、皆無である。
その自然の様のみ、恐怖を抱いた。
そして、その恐怖を、荒ぶる神として、対処してきた。

その、荒ぶる神、自然をなだめるための、祈りが第一義にあった。
それが、祝詞、言葉である。

自然をなだめるように、罪そのものも、なだめるという形を作り上げた。

それは、自然の中に、安らかに、解消しようとするものである。

そこで、言霊の美の作用が生まれる。
祓いの祝詞の一部を見ると、
朝風、夕風の吹き払う事の如く・・・
大船を、ヘ解き放ち、トモ解き放ちて、大海原に押し放つ事の如く・・・
残る罪はあらじと祓え給ひ清めたまう事を・・・
と、ある。

一種の言語魔術の「美」によって、神々をなだめ、「罪」を吹き掃い、雲散霧消させようとつとめていることだ。「祝詞」は目で読むものではなく、唱えるものであるから、そのときの音声もむろん影響してくるだろう。
亀井

現代に至るまで、この言葉の「美意識」によって、日本人は、清めることをしているのである。

そして、それらの「罪」は、すべて海に向う。
すると、海にいます、神々が、それを受け取り、最後に、消滅させてしまうという。

つまり、祓いに使用したものを、川、海に流して、それらの行為が終わるのである。

水に流す・・・
今も、日本人は、その言葉によって、すべてを、消滅、解決してしまう能力を持つ。

一度、水に流すことによって、後に引かないのである。
これは、智恵である。

或る民族のように、千年前の恨みを持ち続けるという、不健康な精神は無い。

自然が、絶えず、変転し、更に、新しくなるように、いつも、新しく、清くあるべきだという、考え方である。

ただし、仏教伝来によって・・・
それが、大変革を強いられることになる。

それが、表に現れてくるのが、平安期からである。

平安期から中世を経て、近世にいたるまで、日本人の精神史をつらぬくひとつの強い線があるとすれば無常観である。
亀井

しかし無常観が無常感となり、さらに無常哀感、美感に転移してゆく過程と、無常美感となってはじめて日本人の心にしみわたって行ったのではないかという点も・・・
同時に、日本では、無常感(或いは美感)が罪悪感を上回ってそれを代行したのではないか。そして無常「観」が「感」となり「美感」となるこの転移の過程に、さきの「さすらひ」という観念が作用してきたのではいか。
亀井

この、さすらい、とは、祝詞の後半の、罪を、さすらい失うという言葉からのものだ。

さすらひ、失う・・・
罪の解消を、さすらひ失う、という感覚である。

これは、日本人特有の考え方であり、捉え方である。

亀井は、この「さすらひ」と「無常美感」が結合してゆくと、見ている。
であるから、仏教による、罪悪感も、日本人独特の受け取り方、受け入れ方をしたようである。

仏教が、日本化される過程にも、それは、大きな影響を与えた。
仏教受容の過程は、また、日本人の精神史の大きな、テーマである。


posted by 天山 at 06:03| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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