2014年07月03日

国を愛して何が悪い140

文字の無かった時代に、思うとは、直ちに、声に出して、唱えることを、意味したと思われる。

「言霊」という言葉は古事記にはないが、音声の調子から、おそらく霊を感じとったにちがいない。同時に兼ね「思ひ」、同時に兼ね「唱ひ」、言葉はこうして魔術性を帯びてくるために、分析的になるよりは直観をはたらかせ、わけのわからない混沌から暗示を得ようとつとめたのではなかったか。
亀井

それは、聞く行為であり、「聞く」ことは、「信ずる」ことになり、肝に銘じた言葉は、暗誦へと移り、暗誦の伝承の作法というべき、独自の感情の、論理が成立した。
と、亀井は、考えている。

そして、やがて、書物が日本に入り、書物は、眼で見るよりも、まず耳で聞くものと、考えられていた。

書は、声を伝えたもの、という意識であった。

加えて、古事記は、神道を説いた、書ではないということだ。
後世、古事記を神道の経典のように扱うのは、大きな間違いの元となる。

古事記は、
太古における「言葉のいのち」の集大成である。
亀井

それぞれの民族の神話があるが、日本の古事記のような神話は、少ない。
伝承の集大成である。
そして、それが、実に混沌としている。
つまり、言葉の混沌そのままである。

古事記や日本書紀の基礎になったものは、それ以前に大氏族家に残された文献であったろうが、その文献の基礎になったのは、やはり語部の伝承であったとみて差し支えあるまい。
亀井

口伝は事実であり、それがなければ、伝承は無理である。
そのため、語部の存在は、否定する事は、出来ない。

国書の断片が、天智天皇に渡され、それから、天武天皇によって、稗田阿礼が、朗誦したものが、古事記である。
稗田阿礼は、宮廷語部の一つである、猿女の君の、支流に当たるといわれる。

語部の存在は、古代から、中世、近世まで、続いてきたもの。

それは、日本固有の、言語伝承の一つのパターンだった。

それが、繰り返し、繰り返し、伝えられたことで、その定型が徐々に出来上がってきた過程を思う。
それが、民族の精神である。
つまり、民族の言葉である。

万葉集にも、多く似た歌が多い。
それは、一人が歌詠みしたものを、共感し、人が人に伝えて、繰り返し歌われたものである。

読み人知らずの多くは、それである。

言葉が、共有されることにより、民族の言葉の基礎が出来る。
そして、その言葉に関する、意味付けである。

また、観念の薄い時期に、すでに、その東雲が現れていた。

古事記、万葉集の中の歌の数々は、多く、繰り返されることによって、校正され、洗練されていったと、思われる。

幾たびもくりかえし歌われ、伝承され、そのたびごとに、歌詞も歌い方が洗練されて行ったと思う。つまり、古代の氏族共同体の中での、唱和による集団的推敲の結果ではなかったかということだ。中心になったのは言うまでもなく語部であり、言霊信仰も、こうした集団による唱和の雰囲気のうちに成立したのではなかったか。
亀井

それでは、日本には、精神史、あるいは、思想と呼ばれるものが、存在しなかつたのか。

これは、西欧の思想、哲学から見れば、歴然としているように、日本には、西欧のような思想、哲学というものが無い、あるいは、その形跡さえ見えないと結論付けられている。

言葉が成り立ってから、思想、哲学が存在しないとは、実に、おかしな話である。

西欧のような・・・
それが、間違いの元である。

西欧には、それでは、日本のような言葉の世界があるのか・・・
それは、無い。
それで、十分である。

何故、改めて、日本には、思想が無いなどということが、問題になるのか。

言葉、そのものが、思想である。
それが、日本の思想であると、言える。

思想は、言葉による。
つまり、言葉が成立したということは、思想が成り立つのである。

体系化した思想・・・
西欧のそれを真似て・・・
その必要の無いのが、日本語である。

言葉を積み上げて、何事かを語るという言葉と、一音に意味がある、日本語とでは、全くその成り立ちが違う。

その成り立ちを無視して、思想がないとは、笑わせる。

学者の中には、
自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。
と、言うように。

私は、その必要がなかったのだと、言う。


posted by 天山 at 05:26| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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