2014年06月01日

沈黙を破る91

聖者として、作られた、マザー・テレサについて・・・

生前から、多くの研究がなされていた。
その多くは、大半が、批判である。

マザー・テレサが亡くなった、翌年、ローマカトリックは、即座に、聖人の手前の、福者として、列聖した。
次ぎは、聖人として、列聖するのだろう。

その、カトリックが、名誉挽回のために、マザー・テレサを利用した。
次第に、衰える、ローマカトリックの力・・・
そこで、広告塔として、彼女を利用し、大々的に、世界に喧伝した。

そして、マザー・テレサの、虚像と実像が、きっくりと、明確に現れた。

だが・・・
世界の多くの人たちは、特に、カトリック信者は、聖者だと、信じている。

最近の研究では、カナダで、その報告がなされた。
カルトに似た、団体の主である。

インド、コルカタの貧しい人々を集めて、死者の家を作る。
そこで、彼女は、苦しんで死ぬことを、説くのである。

苦しんで死ぬことが、救いになる。

あれほど、莫大な寄付を得た彼女は、一切の、治療をさせなかった。
実に、不思議である。

ただ、時に、彼女が手を当てて、病を癒す祈りを上げると、患者は、回復に向った。
その、カラクリは、薬を投与したからである。
祈りの結果ではない。

あれほどの資金に恵まれても、そのような施設を造ることは、無かった。
不思議である。

そして、自分の心臓の病は、アメリカの病院に入院して、楽に、痛みなく、手術を受けている。
あれほど、苦しむことを奨励した人が、である。

自分は、痛みの無い、治療法を使う。
とても、矛盾しているが・・・
信じた人には、そんなことは、どうでも、いいことだ。

それでは、彼女は、あの寄付の莫大なお金を、何に使用したのか。

それは、自分の建てた、修道会を世界各地に作ったということである。
生前、自分の修道会を、世界に作る、創立者という聖人は、少ない、というより、いない。

その死後、弟子たち、共感者たちが、その意思を受け継ぎ、修道会を大きくする。
しかし、彼女は、生きているうちに、それを大きくした。

とても、経営能力に長けていたということだ。

私は、彼女の、行為を批判しない。
だが、彼女の、行為のあり方を、批判する。

騙しのテクニックである。

そして、カトリック教会の、宣伝に、大いに貢献したということだ。
カトリック側も、それを良しとした。

それらの、研究とは別に、私なりに、疑問がある。
それは、イエスの声を聞いたという、彼女の話である。

幻覚、幻聴・・・
自分が、イエスだと、判断しただけであり、客観性は、無い。

更に、インドの地である。
どんな霊が、現れたのか・・・

十字架に付けられたイエスが、私は乾く、と彼女に言った。
イエスの、乾きは、貧しい人たちに、奉仕せよと、聞えたのか・・・

人はそれぞれ、信仰の思いや、勘違いが違う。
マザー・テレさの、イエスは、そういう乾きの、イエスだったのだろう。

ここで、心理学を出す必要は無い。

自分が、描いたイエスが、自分の目の前に、現れる。
当然である。
自分の内に無いものは、現れないのである。

ただし、その現れたイエスが、ナザレのイエスなのか、何処のイエスなのか・・・
それが、問題である。

或いは、単なる、いたずら好きな、霊の可能性もある。

ということで、私は、多くの研究より、そちらの方が、興味がある。

生きている人間は、聖人にはならない。
聖人になるのは、死んだ人間である。

その遺徳を偲ぶ意味で、聖人になるのである。

しかし、彼女は、生きているうちに、聖人になった。
彼女に会う人たちは、皆、感動した。
それほどに、彼女には、何か、大きな力、気力、波動、思いという、想念があったのだろう。

その根拠は、何であったのか・・・
怖ろしく、魔的なものの、存在を感じるのである。

何も出来ない、無力な人々を集めて・・・
それだけでも、怪しい。

死ぬ寸前の人たちを、集めて・・・
それも、怪しい。

そして、あなたは、愛されている、云々・・・
あなたは、大切な人である、云々・・・

それでは、どうして、治療を受けさせなかったのか。
金は、たっぷりと、持っていたのに・・・

彼女の修道会の、名称は、小さな兄弟・姉妹会、である。
修道服は、白地に、青の帯を三本。

ちなみに、私は、現在の修道会の活動を、批判するものではない。



posted by 天山 at 06:24| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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