2014年05月22日

霊学159

最後に、イントゥイツィオン、霊的合一である。

シュタイナーは、霊的合一は、真の自我を体験することだと、言う。

ちょうどフィヒテが思考を通して、個的自我と宇宙自我との同一性を体験したように、超感覚的な知覚と表象を通して、個的自我と宇宙自我との同一性を体験するとき、それをイントゥイツィオンとシュタイナーはよんだのです。
高橋

そのときはじめて、能動的な態度をとる個的自我が自分の根底に存する、宇宙叡智の秘密の主体である宇宙自我と出会うのです。
高橋

ちゃかす訳ではないが・・・
人間は、そこまで、偉いものなのか・・・
宇宙自我・・・とは、何か。

私は、もし宇宙自我が存在するならば、人間は、すでに、その自我の中に存在すると、考えている。

そして、それは、意識せずとも良い。
その宇宙自我から、逃れることは、出来ないのである。

現代の自然科学は観察と実験を通して、数量的法則性の上に、宇宙の実体を解明しようとしますが、そのような自然科学的宇宙論では、宇宙自我の秘密に触れることはできません。究極的にはエントロピーの法則で説明できるような、まったく魂の暖かみや愛の欠けた宇宙論しか得られません。自然科学的な因果律にしたがった生成と発展と死滅だけしか、その宇宙論からは出てこないのです。イントゥイツィオンというのは、そういう世界とはまったく異質の、自我が自分のなかだけではなく、外なる宇宙にもあるということの体験なのです。
高橋

いいかえると、自分よりももっとはるかに高次の存在が宇宙の主体としてはたらいているが、そういう高次の存在のなかにも、自分と同じ自我がある。そしてその自我を実感できるときにはじめて、宇宙の意味と目的が痛切に体験できる。そのような宇宙的な自我との出会いをイントゥイツィオンというのです。
高橋

シュタイナーでなくとも、そのようなことを言う人は、数多く存在していた。

インド系の、解脱者といわれる人たちは、それが、得意である。
インド思想史を俯瞰すれば、そんな話で溢れている。

宇宙叡智の秘密の主体である宇宙自我との出会い・・・

何か、特別なものを、意識しているのだろうか。

中国思想では、人間の体は、宇宙そのままだと言う。
人間の体は、小宇宙であると言う。

さて、私の読み込みが悪いのか・・・
シュタイナーの哲学に関して、高橋氏の、言葉を使用する。

従来の哲学は、ハイデッガーやメルロ・ポンティやサルトルのような、みずからの立場の前提を特に重要視する実存哲学者においてさえも、問題意識への反省はあっても、意識そのものを変革する際には、ラディカルな態度をとりませんでした。けっきょくは、日常生活の延長上で生じる疎外感や孤独を否定的に取り上げるか、または認識ではなく、信仰による救済へ向いました。
ところがシュタイナーは、私たちの思考と感情と意志、あるいは表象と判断と愛憎、あるいは理性と感性、そういう認識を可能にする魂のはたらきそのものを、新しい時代にふさわしいものにするために、自分のなかでどう変革すべきなのか、を問題にしたのです。
高橋

そして、それが、シュタイナー哲学の新しさであるということだ。

そして、新しい体験内容を元に、新しい神秘学的哲学である、人智学を構築したのである。

前代未聞の新しさを持っていると、高橋氏は、言う。
確かに、前代未聞の哲学だろうが・・・

それを、哲学として、理解する人にとっては、そのようである。
一体、哲学とは、何か・・・
そこで、哲学について、を書く必要は無い。

それは、それぞれの人が、決めることである。



posted by 天山 at 05:17| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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