2014年04月26日

霊学156

シュタイナーの言う、イマギナツィオン、霊視とは、どういう意味なのか・・・

感性的世界においても、時間は、感覚がそのつど空間に依存するように作用してくるところから人間を引きはなして、持続の世界での自分を自覚するようにうながしてくれます。空間の世界が、味覚や嗅覚や触覚や視覚や聴覚の感覚内容を、眼のまえのいたるところに出現させるのだとすれば、時間の世界は、どこにその世界内容を出現させるでしょうか。あらためて周囲を見廻しても、この空間の世界のなかのどこにも、時間の要素は存在していません。なぜなら、私たち自身のなかに内なる世界を、もっぱら、私たちの内なる世界から取り出してくるからです。私たち自身のなかに内なる世界が存在していないかぎり、時間を体験する場所は、どこにも見出せないのです。
高橋

つまり、私の内なる世界が時間というものを、自覚させる。

説明がくどいが、致し方ない。
これが、ある霊界のやり方である。

そうしますと、空間の世界から時間の世界へ身を移すということは、外なる感性的世界から、内なる魂の世界へ移行する、ということになります。
高橋

その微妙な意味合いを知ることが、霊視を知る上で、大切なこと。
実際、体験していることを、ここまで、丁寧に説明するのである。

空間にもまして、時間には、いまだに多くの謎がその背後に隠されているのです。
高橋

それは、時間的存在として、過去と現在と未来を生きるときの、自分の中には、無限の謎が潜んでいるというのである。

「時間が空間に変わる」「空間が時間に変わる」

空間と時間との関連が、ある一瞬、日常的な関連から別な非日常的関連に変わるということです。そしてそのときには、日常的な世界そのものもそのあり方を変えるのです。
高橋

空間と時間が感覚的知覚の対象になりえないのは、時間も空間も、そこにおいて感覚的対象が現れてくる知覚の形式だからなのです。ですから、カントは時間と空間を直観形式と呼びました。私たちが直接的に感覚体験をもつときの体験形式として、時間と空間があるのであって、純粋な空間そのもの、時間そのものが知覚の対象になるわけではないのです。
高橋

ここからが、シュタイナーの面目である。
霊視を獲得することが出来れば、意識を目覚めさせつつ、しかも新しい時間的・空間的体験を持つことが出来るという。

カントは時間や空間が人間の主観的な、しかも人間意識のもっとも根源的で普遍妥当的な知覚形式だと考えていましたが、シュタイナーもまた、空間と時間を人間の身体が生み出す意識の属性だと考えていました。つまり私たちが身体的に存在するかぎり、かならず時間と空間という形式のなかで、私たちの意識内容は現れてこなければならないのです。けれどもカントと異なって、身体がもはや存在しなくなったときには、時間と空間を超えたところで、新しい知覚内容が現れてくる、と考えるのです。
高橋

身体が存在しない世界、つまり、霊界である。
いや超感覚的世界・・・

そして、高橋氏は、人間は、いつも受身によって、人間の意識が生み出されるという。そこから、受身の姿勢を改める。
受身の意識習慣を、改めること。

時間的、空間的世界の中から、自分を超越させるには、受身の状態を打破しなければならないのである。

その方法は、まったく能動的な仕方で、イメージの世界を構築する。
それにより、主観的に限定された、空間と時間に対して、客観的態度がされる。

それが、霊視の意味であり、霊視の前提となる。

実際、人は、そのようなことを、無意識でやっている。
空想、ぼんやりと・・・

だが、そういうことでは、無いらしい。

第一に、そのイメージが単純であること。
第二に、秘教的な伝統や偉大な霊的指導者の教えの中には、そういうイメージや言葉が、見出せる。シュタイナーは、一つの例を上げる。
「光の中を流れるように、叡智が生きている」
そういう単純な言葉、イメージに没頭する。
第三に、イメージに対して、それが外なる感覚的対象であるかのように、それを観ることに集中する。

ある霊的指導者は、誰でも彼でも、受け入れなかった。
それは、そのような、訓練をすることで、おかしくなる、つまり、精神的に狂う人が、出るからである。

シュタイナーは、自分の著作を通して、個人的に修行を勧めるが・・・
精神疾患体質の人なら・・・
とても、危険である。

高橋氏は、
それを毎日、短時間でも集中して体験しますと、日が経つについて、それは自分の空間体験、時間体験を非日常的なものに変える作用をするようになるのです。
と、言う。

そして、イメージはひとつの未知の現実に変わるのです。今までとは違う現実が、イメージとなって自分の前に現れます。今まで感じたことも、予感したこともないような経験を今しているのだ、という強烈な実感が残ります。私たちの表象のはたらきに変化が生じるのです。
高橋

表象とは、お勉強が出来るという人のことを言う。
つまり、表象が多いとは、暗記出来るということだ。

試験の問題は、すべて単なる、表象の世界に始終している。
つまり、その表象が、存在するか、否かは、問題ではないのである。
だから、賢い馬鹿という者が、出来上がる。

表象と判断の違い・・・

現代社会は、表象と判断の区別をつけなくても、不都合が無い社会である。

そういう意味では、シュタイナーの訓練は、評価出来るが・・・
お勧めしない。




posted by 天山 at 06:01| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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