2014年04月24日

霊学154

しかし超感覚的体験にとってもっとも本質的なのは、むしろそのような象徴文字の内容を修行し体得することであり、そのときにはじめて開けてくる超感覚的な体験を獲得していく過程の中で、魂自身が超感覚的内容を直観し、その直観を通して経験的にこの文字の意味するところを悟る行為である。
シュタイナー

霊的体験ということである。
それが、もしや、妄想であると、言い切れないのか。

あるいは、それも、人それぞれのものと、言えるのか。
皆、一様に、同じ文字を直観出来るのか。

更に、私と違うことは、魂自身が、超感覚的・・・ということである。
違う。魂は、超感覚的というより、霊的存在である。

人間は、すでに、魂という、霊的存在を有するものである。

このようにして超感覚的内容が魂に何事かを語るとき、魂はそれを象徴的な記号に翻訳し、すべての人がまったき意識をもって見通せるものにしようとする。本書もまたこのような行為の所産である。本書の中に表現されている事柄はすべての人の魂によっても、まったき意識をもって体験されうる。
シュタイナー

魂が、語るのであり、超感覚的内容が、語るのではない。
私の言い方にすると、魂が、心に語るのである。

この書物は著者と読者との間に交わされる個人的な対話のようなものとして受け取られることを望んでいる。「神秘道の修行は個人的な伝授を必要とする」と書かれてはいるが、このことは書物そのものがこのような個人的伝授なのだという意味に解釈されねばならない。
シュタイナー

その訳は、
今日では、時代そのものが霊学上の認識内容をかつてよりもはるかに広く普及させるべき意識段階に達している。以前とはまったく異なり、秘伝の内容はすべての人にとって、手のとどくものでなければならない。
とのこと。

そのような、意識段階に達している、というのは、シュタイナーの考え方である。

確かに、人間の意識は、進化しているであろう。
だが、時期を云々する、根拠がない。
勿論、シュタイナーは、自身が、その時期を決めて語る。

シュタイナー独自の、歴史観である。
それが、妄想でなければ、幸いである。

しかし書物の中に見出せぬような重要な行法が他に存在する、と思うのは間違いである。正しく、特に完全に読むことさえできれば、書物の中にそのための要件がすべて含まれている。
シュタイナー

と、いうことで、それを解釈する人たちの、裁量による。
また、読み込むという行為は、何を言うのであろうか。

受け手が、浅はかであれば、解らないということである。
あるいは、邪道に陥ることもある。

本書は人間全体を完全に変化させるための指導書であるかのように見える。しかし正しく読めば、超感覚的世界に係わろうとする人にとって、どのような魂の在り方が必要であるか、ということ以外に何も語ろうとしていないことに気付くであろう。
シュタイナー

つまり、一つの経典となるものである。
時代の変化に合わせた、新しい精神世界への、導きである。

霊的感覚と言えば、済むことを、超感覚的世界・・・

言葉の世界だけに、捉われる可能性が大きいのである。
シュタイナー独特の言い回し。
そして、繰り返し。

ある一定の、霊界からの、情報である。
人は、見えるものしか、見えない。
要するに、見える世界をすべてだと、思う。

その註を見ると、
霊的体験は比喩ではなく、理念によって表現されるべきではないのか。このような疑問に対しては、次のように答えざるを得ない。超感覚的現実を体験する際には、超感覚的世界そのものの中で、自分もひとつの超感覚的存在なのだと知ることが大切である。感覚世界の中で、周囲の事物の作用を観取する自分の肉体そのものを意識しなくてもすむように、「蓮華」「エーテル体」の記述を通して本書が明らかにしてきた人間自身の超感覚的本性を考慮することなしにも、人は霊界の作用を体験できるであろう。しかし人が「アストラル体」や「エーテル体」の中に自分の超感覚的形態を観察することは、ちょうど人間が自分の肉体を知覚することによって感覚世界の中の自分を意識するように、超感覚的世界の中の自分を意識することなのである。
と、ある。

これは、明らかに、霊界参入のことであり、霊的存在である、人間の存在を認識する手立てである。
しかし、それは、シュタイナーの言う一つの方法以外に、多数存在するということである。

私は、特別な方法は、必要としないという、考え方である。

読み込む・・・
つまり、読む側に任されてあるということ。
私の読み方が、浅いといわれるかもしれない。

だが、私は、私の霊学に、急がねばならない。
そして、それは、実に、シンプルなものである。

だが、その前に、シュタイナーの哲学的位置関係について、一応紹介する。

これは、シュタイナーの勧めではない。
霊学を見つめるために、一つの考え方として、紹介している。

更に、精神衛生からの、正常異常についても、記したい。
実際、霊的、あるいは、霊界に関する情報は、人により、伝えられる。その中では、異常精神によるものも、多数ある。
そのために、精神衛生から、精神の異常についても、考えたいと思う。



posted by 天山 at 05:46| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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