2014年04月02日

沈黙を破る87

戦没者の慰霊と、支援活動をしているが・・・

慰霊は、あらかじめ、調べて解っている。
しかし、支援は、何を持参するのかは、勘が頼り。

子ども物、大人物、女、男・・・
その持参する、分量が勘なのである。

いつも現地で、日本には、あれほどあるのに・・・と、思う。
足りないのである。

衣類は、長く使えるもの。
だから、その衣類を買う分で、生活出来るのである。
お金を上げるという、考え方は、邪道である。

災害支援の、支援金なども、単に差し上げても、その使い道が解らない。
誰の、ポケットに入るのか・・・

日本でさえ、義援金に対しては、不信である。
募金箱のお金が、本当に、相手に届くのか・・・
不確かである。

だから、いつも、私は警告している。

その募金箱の管理は、誰がするのかと・・・

大震災の際には、至る所に、募金箱が置かれた。
だが・・・
その募金箱は、日本人は、善人であるから、誰も、我が物にしないという、前提がある。だが、どうだろうか・・・

多くの、不明が残った。

また、更に、寄付を受け付ける団体・・・
その団体は、経費を使う。
人件費などなど・・・
それも、寄付金から、出るのである。

特定の団体名を挙げる訳にはいかないが・・・

さて、衣類支援であるが、現地に行き、失敗することもある。
乳幼児物が、もっと、必要だった・・・
子ども物が、必要だった。

更に、高齢者のための、衣類が必要だった。

そうして、次の機会を考える。

また、孤児施設などでも、男の子物は、多いが、女の子物が、少ないとか・・・

孤児施設も、流動的なのである。
昨年いたはずの児が、今年は、いない。
別の施設に移った。

また、新しい子どもが、来ている。
勿論、顔馴染みになる子もいる。

嬉しいのは、私が持参した衣類を着ている児がいる時である。
あるいは、母親が、これは、昨年に頂いたものと、教えてくれる時。

そして、子どもは成長する。
昨年のものが、小さくなっている。

施設では、順繰りに着せていることだろうと、思うが・・・

その他は、文具、食糧、小物類である。
何も自分の物を、持たない子たち・・・

それでも、生きられるのだと、教えられる。
着の身着のままでも、生きられる。

だが、もう一枚あれば・・・
洗濯の時、裸でいることがない。

この話は、バリ島でも盛り上がった。
バリ島・・・
未だに、カースト制が残る島。
だが、皆々、気付かない。

出会うバリ島の人たちは、カーストの低い人たちなのである。
高い身分の人たちとは、逢えない。
旅人が逢えるような、人たちではない。

低いカーストの人たちは、いつまでも、貧しい。
だから、その貧しさの中で、哲学する。

一枚のシャツがあれば、幸せだ・・・
その通り・・・
だが、もう一枚あれば・・・
もっと、幸せだ。

物が、単なる物ではなくなる、考え方をする。

だから、バリ島の人たちは、貧しくても、ゴミになるであろう、ヒンドゥーの御祭りのために、毎朝、沢山の供物を作る。

バリ島から、出なければ、彼らは、いつも、幸せでいられる。
しかし・・・
広い世界を見たら・・・
狂う。

日本に来て、お金で狂ったバリ島のカーストの低い人たちを、多く見た。

さて、勘の問題である。
これからも、勘を頼りに、支援活動を続ける。



posted by 天山 at 06:10| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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