2014年03月10日

もののあわれについて658

例の寝殿に離れおはしまして書き給ふ。花盛り過ぎて、浅緑なる空うららかなるに、古きことどもなど思ひすまし給ひて、御心の行く限り、草のも、ただのも、女手も、いみじう書き尽くし給ふ。御前に人繁からず。女房二三人ばかり、墨などすらせ給ひて、ゆえある古き集の歌など、いかぞやなど選り出で給ふに口惜しからぬ限り、侍ふ。御御簾上げ渡して、脇息の上に冊子うち置き、端近くうち乱れて、筆の尻くはへて、思ひめぐらし給へる様、飽く世なくめでたし。白き赤きなど、けちえんなるひらは、筆とり直し、用意し給へる様さへ、見知らむ人は、げにめでぬべき御有様なり。




いつもの通り、寝殿に、紫の上とは離れて、お書きになる。
花の盛りも過ぎて、薄藍色の空が、気持ちよく晴れている頃、色々な古い歌などを、心静かに考える。思う存分に、草のも普通のも、女手も、立派に、あらん限りの美しさで、お書きになる。
御前にお付の者も、たいしていない。女房二、三人に、墨をすらせて、由緒ある歌集の歌などを、どんなものかと、選び出される。話し相手になる者だけが、お傍に控えている。すべの御簾を上げて、脇息の上に、冊子を置いて、庇の間のすのこ近くで、気軽に、筆の尻をくわえて、考え込んでいる様子は、見飽きるほどもないくらい結構である。白や赤などで、明確な色の色紙は、筆を持ち直して、気をつけている様子は、物の解る者は、感心するに決まっている姿である。




「兵部卿の宮渡り給ふ」と聞ゆれば、驚きて御直衣奉り、御褥参り添へさせ給ひて、やがて待ちとり入れ奉り給ふ。この宮もいと清げにて、御階さまよく歩みのぼり給ふ程、内にも人々覗きて見奉る。うちかしこまりて、かたみにうるはしだち給へるも、いと清らかなり。源氏「つれづれにこもり侍るも、苦しきまで思う給へらるる頃ののどけさに、折りよく渡らせ給へる」と、喜び聞え給ふ。かの御冊子持たせて渡り給へるなりけり。




兵部卿の宮が、おいでになりました。と申し上げるので、驚いて、直衣をお召し、敷物を持ってこさせて、そのまま待って、お入れ申し上げる。
兵部卿の宮も、まことに綺麗で、階段を、体裁よく上がられる。それを御簾の中でも、女房達が、覗いて拝見する。丁重にご挨拶なさり、お互いに、整然としているところが、まことに、美しい。
源氏は、する事も無く、家におりますのも、辛いもので、この頃ののどかさで、丁度良いところへ、お出でくださりました。と、お礼を申し上げる。そして、あの依頼の冊子を、持たせてお出でになったのである。




やがて御覧ずれば、すぐれてしもあらぬ御手を、ただかたどりに、いといたう筆すみたる気色ありて、書きなし給へり。歌もことさらめき、そばみたる古ごとどもを選りて、ただ三行ばかりに、文字少なに、好ましくぞ書き給へる。大臣御覧じ驚きぬ。「かうまでは思ひ給へずこそありつれ。さらに筆投げ捨てつべしや」と、ねたがり給ふ。宮「かかる御中に面無くくだす筆の程、さりともなむ思う給ふる」など、戯れ給ふ。




すぐにその場で拝見されると、たいして上手ではない御筆跡であるが、一本調子に、酷く筆が垢抜けている感じに統一されている。歌もわざとらしい、偏った古歌を幾首か選んで、ほんの三行ほどに、漢字を少なくし、結構に書いてある。大臣は、御覧になり、驚いた。こんなにまで、お書きになろうとは、存じませんでした。全く、筆を投げ出してしまうべきです、と羨ましがる。宮は、こういう上手な人の間に、平気な顔で書きますので、いくら何でもと存じます、なとど、冗談をおっしゃる。




書き給へる冊子どもも、隠し給ふべきならねば、取う出給ひて、かたみに御覧ず。唐の紙のいとすくみたるに、草書き給へる、すぐれてめでたし、と見給ふに、高麗の紙の、はだ細かになごうなつかしきが、色などは華やかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書き給へる、たとふべきかたなし。見給ふ人の涙さへ、水茎に流れ添ふここちして、飽く世あるまじきに、またここの紙屋の色紙の、色あひ華やかなるに、乱れたる草の歌を、筆にまかせて乱れ書き給へる、見所限りなし。しどろもどろに愛敬づき、見まほしければ、さらに残りどもに目も見やり給はず。




書かれた何冊もの冊子も、隠すべきものではないから、取り出して、お互いに御覧になる。唐渡りの紙の、ごわごわしたものに、草でお書きになるが、まことに結構である。と、拝見されると、朝鮮の紙の、きめ細やかで、柔らかく親しみ深いのが、色彩が派手ではなく、優しい感じがするのに、おっとりとした女手の、整然と気をつけて、お書きになったのは、喩えようもない。
御覧になる宮の涙までが、筆跡に添って、こぼれてゆく感じがして、見飽きるときがないようで、また国産の紙屋院の、色紙の色合いが派手なのに、乱れ書きの草の歌を、筆の向くままに、散らし書きされたのが、見るべき点が尽きないほどである。しどろに乱れて愛敬があり、いつまでも、見ていたいもので、他の物には、全く、目もやらないのである。

女手とは、現在の平仮名である。
平仮名は、女の書く文字だった。

平安期の、女房文学は、まさに、平仮名の功名である。
以後、鎌倉時代になり、漢字かな混じりの文が、堂々と、登場する。

この、漢字かな混じり文により、日本の精神が、益々、広がりを持つことになる。
であるから、源氏物語の功績は、あまりに大きい。
まさに、先駆けである。

更に、この物語により、和歌の道が、一層明確になった。
現在の、短歌に至る、歌の道である。

もののあはれ、と、和歌の道を、作り続けたのである。




posted by 天山 at 06:00| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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