2014年03月06日

霊学146

喉頭近くにある霊的感覚器官には、他の魂的存在の思考内容の在り方を霊視する能力がある。それはまた自然現象の真の諸法則への深い洞察力をも所有している。―――心臓近辺の器官は他の魂の志向の在り方を霊的に認識する。この器官を開発した人は、動、植物の隠された諸力をも認識できる。いわゆる鳩尾近くにある感覚器官は魂の才能や能力を認識する。この器官によって、動物、植物、石、金属、大気などにおける諸現象が大自然のいとなみの中でどのような役割を演じているのか、洞察することができる。
シュタイナー

喉頭近くの器官は、十六の「蓮弁」または「車輪のや」をもっている。心臓近辺の器官は十二の、鳩尾近くの器官は十のそれをもっている。
シュタイナー

神秘学、人智学を名乗る人だから、当然だが・・・
実に、詳しく説明している。

だが、それでは、人は、振り回されるだけである。

更に、信じる・・・
信じないと、始まらない。
つまり、聖書のイエスの言葉と同じく・・・
私は道であり、真理であり、命である。私を通して、天の国に行く。

魂の働きを特定の仕方で意識的に活用するなら、該当する霊的感覚器官を開発するための修行をしたことになる。
シュタイナー

十六弁の蓮華のうち、その八枚は太古の時代、すでに開発されていた。当時人間はこの開発のために、自分からは何も行なわなかった。太古の人間はそれを自然からの恩恵として、まだ暗い夢幻的な意識状態の中で、受け取ったのである。
シュタイナー

だから、新たに、八弁の蓮弁を、意識的な修行をして、開発することができる。
シュタイナー

そこから、また、延々とした、説明が続く。
例えば、その第一は、
表象「意識内容」を獲得する仕方である。通常、人はそれをまったく偶然に任せている。日々さまざまの事柄を見聞きし、それを基にさまざまな概念が作り上げられる。そのような態度で生活している限り、十六弁の蓮華はまったく活動を停止している。これを活動させるには、これに意識的態度でのぞまなくてはならない。この目的のために必要なことは、自分の表彰に対する注意力の喚起である。どの表象も彼にとって有意義なものにならなければならない。意味のない表象に満足してはならない。自分の所有する概念の働きをすべて自分で統禦し、それが外界の忠実な鏡となるようにしなければならない。歪んだ表象は自分の魂から遠ざけねばならない。
シュタイナー

これらの説明が、第二、第三と続く。

無意味な行為は、自分の魂から遠ざける。
意味のある内容だけが、神秘修行の唇から流れてこなければならない。つまり、発言について、である。

魂の働きは、外的行為に節度を設けることである。

こうして、読み進めると、矢張り、生活態度、生き方指導なのである。
勿論、人間は、そこから逃れられない。
その、逃れられない、生活の中での、修行なのである。

これは、山奥に入り込み、修行をするという、意味に近いものである。

歪んだ、意識内容とは、何か・・・
無意味な行為とは、何か・・・

シュタイナーの、修行に関して、否定するものはないが、それを他人に押し付けることは、出来ない。

聖人になれ・・・
そのように、言うのが、易い。

その、聖人になるために、延々と、仕方を説明しているのであるのか。

更に、十六弁の蓮華が、何故、問題になり、その根拠は何か。
私には、延々と繰り返す、説明が、単なる、妄想に思えるのである。
更には、繰り返しが多い。

第五の働きは生活全体の在り方に係わる。神秘修行者は自然と精神の法則に従った生活を送る。やたらに急いだり、怠けたりしない。仕事のし過ぎも、投げやりな態度も等しく縁遠いものとなる。人生を努力の手段と見做し、それに応じた態度をとる。健康管理、習慣等に留意し、それによって調和した生活がいとなめるようにする。
シュタイナー

当たり前のことである。

このように、延々と、くどい程に、説明するのは、特殊な霊界からの、情報である。

上位霊界の情報は、とても、シンブルなものであり、多くの説明を要しない。

くど過ぎるだけ、拘っているのであり、説明し尽くすというのは、西欧の哲学の特徴である。つまり、それ程、延々と、くどく説明しなければ、解らない。

日本でも、江戸末期から、明治期にかけて、霊学なるものを、書き続けた人たちも、本人だけが、解るような難解な言葉を使い、延々と、記述した。

言い得ないものを、言うというのとは、どこか、違うのである。
この違いとは、賢いようなのだが、明らかではないということだ。

勿論、人間には、様々な人がいて、延々と説明を続けないと、理解出来ない人もいる。

そういう意味では、神秘学の説明を続けたシュタイナーは、立派である。
だが、私は、お勧め出来ない。

この後、シュタイナーの霊的世界に関する、記述を読むが・・・
その多くは、日本の新興宗教にも、取り入れられたものである。

守護霊とか、守護神とか・・・

だが、日本では、菅原道真の歌、
こころだに 誠の道に 叶いなば 祈らずとも 神や守らん
に、尽きるのである。

それでは、誠の道とは、何か・・・
それは、人倫の道である。
それでは、人倫の道とは・・・
私の、霊学は、それである。





posted by 天山 at 05:34| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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