2014年03月04日

霊学144

条件の第四は今述べた言葉の中にすでに含まれている。
シュタイナー

つまり、繰り返しが多いのである。

すなわち人間の本質が外観にではなく内部に存するという観点を獲得することである。
シュタイナー

自分を外観「つまり物質界」の所産に過ぎないと考える人は神秘修行上、進歩することが不可能である。
シュタイナー

最もである。
神秘思想であるから、当然のこと。
物質界の所産であると、思う人は、神秘主義に興味を抱かないだろう。

自分を、霊的な存在であると、感じられないと、神秘も何も、無い。

神秘道を修行する者は外的な諸条件が命じる事柄と、自分自身が正しいと考える事柄との間に立って、中庸の道を見出さなければならない。
シュタイナー

実に、当たり前のことを言う。

実に、具体的と言えば、具体的であるが・・・
シュタイナーを読む事で、すべてが、整えられる気がするだろう。

神秘修行・・・
一つの宗教的、修行のようである。

であるから、次の、第五の条件も、
すなわち一旦決心した事柄は忠実にこれを実行する、ということである。

成功する、しないは、欲望から行動するときにしか、意味を持たない。そして欲望から為された一切の行動は、高次の世界にとって価値を持たない。高次の世界にとっては、もっぱら行動に対する愛だけが決定的である。
シュタイナー

愛の中にこそ、行動に対する、すべてがなければならないと言う。
実に、西欧的な言い方である。

行為すること自体に喜びと満足を見出すようになるであろう。
シュタイナー

これは、比較的、善意という行為などと、同じ口調である。
だから、人生論なのである。

勿論、生き方の手引きとしては、いいものだろうが・・・

第六が、
自分に向ってくるすべての事柄に対する感謝の気持ちを養うことである。
シュタイナー

ここに至ると、新興宗教に似る。
いや、宗教、道徳、人倫の道・・・

あるがままを、感謝する。
これで、尽きる。

高次の認識に至るのに必要な慈悲心「博愛」を自分の中に育てる。

どんな存在でも、私が愛そうとしなければ自分の秘密を私に打ち明けようとはしないであろう。
シュタイナー

それにより、自分が豊かになる。

そして、最後の第七の条件が、
人生をこれらの条件にふさわしく形成すること、これが第七の条件である。
以後、延々とした、説明が続く。

これらは、すでに、キリスト教神秘思想、あるいは、その教えによって、説かれているものである。

高次という言葉が、神に置き換わるだけ。

であるから、シュタイナーのオリジナルとしては、その霊界の模様である。

或る事柄の形成ではなく、精神が問題なのだということは正しい。しかし精神不在の形式が無に等しいように、自分の形式を生み出せない精神があるとしたら、それは無力な精神だといわざるをえない。
シュタイナー

シュタイナーの、奇想天外な歴史観や、その妄想に影響を受けた人は、多い。
また、その、霊的論述である。

神秘学もまた、一つの、方法であるということだ。
またそれは、シュタイナーの神秘学である。

真理を求めようとするなら、その努力は常にこの信頼と真の人間愛との上に築かれねばならないのである。努力そのものがここから発するというものではない。自分の魂の内なる力から発した努力がこの信頼と人間愛の上でいとなまれねばならないというのである。そのようにして、人間愛がさらに、次第に、すべての生物、すべての存在への愛にまで拡大されていかねばならない。
シュタイナー

日本の伝統は、そのようである。

天地自然、生きとし生けるもの、すべてに、心を見出した、日本の心である。

更には、自然物に、結界を張り、神域として、御祭りしたのである。

つまり、シュタイナーは、西欧の無味乾燥な、その精神に対して、啓蒙したといえる。そして、語り続けた。繰り返し、語り続けなければ、理解されなかった。
それが、西欧の精神の限界であった。

だが、神秘思想家は、西欧から発していると、言う。
認識不足である。

ただ、言葉にしなかったせいである。
そして、言葉にせずとも、伝わったのである。

懇切丁寧なシュタイナーの、説明には、感心する。




posted by 天山 at 04:54| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。