2014年02月28日

天皇陛下について172

この頃は、天皇陛下のお姿が、マスコミに多く登場する。
特に、東日本大震災により、天皇皇后両陛下の、慰問の様子などが多い。

そして、少しずつ、天皇の御生活が、実に多忙であることを知る機会になっている。

天皇は、公の御方であり、一年間、つまり、崩御されるまで、公を生きられる。
だからこそ、御一人とお呼びする。

秒単位のスケジュール・・・
信じられないのである。
普通ならば、死ぬ。
あるいは、狂う。

その祭祀の様子を少し紹介する。

陛下は、年に最低でも、20数回、自ら祭祀を行なう。
元旦の四方拝、神嘗祭、新嘗祭、大祓い、毎月一日に行なわれる、句祭などである。

四方拝は、宮中三殿の、神嘉殿の前庭で、行なわれる。
前庭の上に、マコモという、カスミグサという、沼地に群生するマコモを織ったゴサを敷き、その上に、金襴の縁取りがある、薄帖という畳の薄縁が一枚、東北から西南に添って、斜めに敷かれる。
薄帖の上には、天皇がお座りになられる、三尺四方の畳が置かれる。

更に、御帷、おとばり、と呼ばれる屏風があり、両側に並べられ、伊勢の皇大神宮の方向と、天皇が出入りする、東北が空けられる。
周囲には、幾つか、篝火が焚かれる。

天皇は、その前に、天皇用の風呂場にて、潔斎をされる。
その際は、冷水ではなく、御懸湯、おかかりゆ、という湯をかけられる。

その後、宮中三殿の中にある、綾崎殿に入られる。
綾崎殿は、天皇皇后、皇太子が、着替えをされる場所であり、戦前は、陛下が神のお姿にならせられる神聖無比の御殿であると、言われた。

まだ暗いうちから、綾崎殿から神嘉殿の南庭まで、侍従が左右からタイマツを掲げて、天皇の足元を照らす。
天皇が、前庭に出られると、屏風の中の、マコモにお上がりになる前に、侍従が御ソウカイという、革を漆で固めた御沓を、お脱がせし、天皇は、御シトウズと呼ばれるタビで、進まれる。

天皇が屏風の囲いの中に入られると、長い裾を持つ侍従も中に入り、天皇が礼拝を行なっている間、平伏して待つ。

というように、説明するのが、大変な様子の儀式を行なわれるのである。

天皇の御姿を説明するのは、難しいので、式次第を述べる。

天皇は、まず伊勢の皇大神宮、つまり、天照大御神に、立ってお辞儀をされ、次に座って、暫くの間、平伏される。
そして、もう一度、立たれお辞儀をして、また座り、平伏される。
これを両階再拝という。

それから、右に回り、東北の方角に両階再拝され、ついで東北、南東の順で、同じことを繰り返される。

皇大神宮をはじめ、豊受大神宮、四方の天神地祇、神武天皇陵、先帝山陵、武蔵国の一宮氷川神社、山城国の一宮加茂神社などを、拝まれる。

今日でも、天皇の祭祀は、あらかじめ、式の次第を記した文書が、用意されるのである。

これが、歴代天皇が行なってきた、祭祀である。

脈々と、続けているのだ。

国民の知らぬところで、天皇は、祈る。
祈りの生活である。

自らの、自制がなければ、続けられないと、思うのである。
その覚悟を自ら求め、そして、実行される。

国民の前に晒さないという、その姿勢も、評価する。

もし、世俗的な宗教ならば、教祖は、徹底的に、信者、会員に、その姿を見せ付けるだろう。

そういう質のものとは、全く別物である。

それを、御自覚と私は言う。

国体という、国民と国土を守る御意志である。
その御一人の肩にかかるのである。

祖霊、日本の神々は、その姿を善しとして、受け入れ、この国のために、神霊を発揮せられる。

国にも、魂が在る。
その魂は、祖霊の総体である。

御霊鎮め、魂振り・・・
すべて、天皇のその行為から発する。

これを、伝統と呼ぶ。

天皇は、密かに祈ることをされているのである。
何故、それを公にしないのか・・・
する必要が無いのである。
それは、天皇の存在そのものが、それ、だからである。

それ、とは、何か・・・
天皇の存在自体が、それ、神なのである。
神とは・・・
祖霊の総体である。
天皇は、祖霊の総体を生きているのである。

天と地をつなぐ者・・・天皇である。
それが、日本の伝統なのである。

皇大神宮の姿は、太陽である。
太陽崇敬から、すべての宗教の元が存在する。

日本民族だけが、特別な民族なのではない。
すべての民族の、太陽崇敬が、日本の伝統の中に、込められている。

勿論、地の崇敬もある。
太陽崇敬は、大地崇敬でもある。

四方拝とは、天地自然、森羅万象を拝む行為である。
そこに、天皇の存在の確たる、意味がある。




posted by 天山 at 05:40| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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