嘘とは、史実である。
宗教が、まず信じることからだ・・・というのは、良く解る。
信じなければ、始まらないからだ。
不信や疑問を持っては、進まないし、信者を騙せないのである。
イエスの誕生物語・・・
それは、マタイとルカにしか、書かれていない。
マルコと、ヨハネでは、触れられていない。
最初の福音書である、マルコが触れていないということは、まだ、誕生物語が、出来上がっていなかった。
更に、パウロをはじめとする、皆々も、その誕生には、触れていない。
つまり、解らないのである。
解らないことを、マタイとルカが、創作し書いたのである。
教会で、語られる、イエスの誕生、クリスマスは、マタイとルカを混ぜ合わせた、物語である。
アーマンも、
実のところ、こうしたお話自体は、まったくもって調和を欠いている。イエスがどのような生まれたかという種々の物語は内容がてんでばらばらで、しかもそうした物語同士の食い違いは、いかんともしがたい・・・
食い違いの一部は、歴史的検証にも耐えうるものではないが、それはまた別の話だ。
まず、マタイを要約すると、
マリアの妊娠が発覚。マリアとヨゼフは婚約していた。ヨゼフはマリアとの婚約を破棄することを考えるが、夢のお告げで、マリアが聖霊によって、妊娠したと知る。
彼らは、結婚し、イエスが生まれた。
すると、星に導かれた賢者たちが、東方からエルサレムまで旅をして、ユダヤの王は何処でお生まれですかと、尋ねた。
ヘロデ王は、調査に乗り出し、ユダヤ人の学者から、王がベトレヘムから来るという、預言を知る。
ヘロデ王から、それを知らされた賢者たちは、ベトレヘムに向った。
その時も、星が先導した。
星は、イエスの家族の上で止まった。
賢者たちは、イエスに贈り物をして、夢で警告されたので、ヘロデ王の言いつけに背き、イエスについて報告するために、エルサレムに戻ることはせず、別のルートを通り帰路についた。
ヘロデ王は、自分が王であるから、未来の王に、恐れをなし、軍隊を向けて、ベトレヘムとその周辺の、二歳以下の男の子を皆殺しにした。
しかし、ヨゼフは、夢のお告げで知らされていたので、虐殺前に、エジプトに逃げる。
そして、ヘロデ王が死んだので、帰還できることを知る。
しかし、新しい王は、ヘロデの息子であるから、ベトレヘムには行かず、ガリラヤ地方の北部、ナザレに向った。
イエスは、そこで、育った。
と、上記は、皆、嘘である。
マタイは、預言の成就を、書き尽くすのである。
だから、創作したのである。
ルカは、そのことには、一切触れていない。
マタイと、ルカの共通した意見は、マリアが処女であることと、イエスがベトレヘムで、生まれたことだけである。
ルカは、マタイより、長い文章で、書き綴る。
長いので省略して、マタイにない記述を言うと、天使がマリアに現れたということ。
そして、とんでもない、嘘を書き付ける。
ローマ皇帝であった、アウグストゥスは、帝国内の全て人の人口調査をするというのである。この住民登録制度を最初に導入したのは、シリアの総督キリニウスだと、ルカは言う。
そして、何と、先祖の土地に戻って、登録するということ。
ヨゼフの先祖は、ベトレヘム出身の、つまり、ダビデの子孫である。
そこで、ベトレヘムに行き、イエスが生まれる。
主の天使が現れて、羊飼いたちに、メシアが生まれたことを告げる。
彼らは、イエスを拝みに来た。
八日後、イエスは、割礼を受ける。
そして、出産後、神に献上する生贄を持って、神殿に行く。
神殿で、シメオンという男と、アンナという年老いた女が、イエスをメシアであると、認める。
割礼、神殿は、モーゼの律法通りである。
この二つの物語を、歴史家は、解釈に戸惑うばかり。
嘘なのであるから、歴史も何も無い。
アーマンも、
マタイに出てくる星の話は、一体全体何を意味しているのか?
と言う。
星が賢者を導き、エルサレムで止まり、更に、動き出して、ベトレヘムに誘う。
そして、イエスの生まれた場所で、止まった・・・
マタイは、一体何を言いたかったのか・・・
不思議を言いたかった・・・
もっと、面白いのは、住民登録である。
ヘロデ王が、ベトレヘムや、その周辺で、幼児殺しをした事実は無い。
更に、先祖であるダビデが生まれた、ベトレヘムに戻る・・・
一千年前の先祖の地に戻る・・・
そんな制度は、歴史的に見当たらない。
全く、嘘八百である。
御伽噺である。
ところが・・・
キリスト教徒は、福音書を歴史的事実だと、信じているのである。
マタイと、ルカは、イエスが、ナザレの出身であることを、知りつつ、ベトレヘムで生まれたことにしたかったという・・・
本当に、ご苦労なことだ。