2014年01月07日

国を愛して何が悪い112

厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。
新渡戸

確かに、日本の論語教育は、実に素晴らしいものだった。
その本家、中国より、孔子の教えを守ったといえる。

私自身は、孔子、その論語に多くの批判を持つ者だが・・・
それは、別問題である。

論語の、五倫の道、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友における、関係の密に関して・・・

その経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。
新渡戸

正に、その通りである。

そして、孔子の次に、孟子も、武士道に大なる権威を振るう。

孟子の力強くしてかつしばしばすこぶる平民的なる説は、同情心ある性質の者には甚だ魅力的であった。それは現存社会秩序に対して危険思想である。
新渡戸

しかし、反逆的とさえ言われる、孟子の教えも、武士の心に永久に宿ったのである。

武士の時代は、孔子、孟子の教えが、主要なる教科書であり、大人の間の議論は、最高の権威を持っていた。

だが、そうかといって、ただ、それらの言葉を知っているだけでは、尊敬を受けられない世間だった。
西郷隆盛は、単なる書からの物知りを、書物の蟲と呼んだ。
三浦梅園は、学問を臭い菜に喩えた。「少し書を読めば少し学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりものなり」

その意味するところは、知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる、と言うにある。知的専門家は機械であると考えられた。
新渡戸

現在、それらの人が、如何に大勢存在することか・・・
更に、それらを、知識人として、もてはやす。

知識そのものは道徳的感情に従属するものと考えられた。人間ならびに宇宙は等しく霊的かつ道徳的であると思惟せられた。宇宙の進行は道徳性を有せずとなすハックスレーの断定を、武士道は容認するをえなかったのである。
新渡戸

であるから、武士道は、知識の多さを軽んじ、それ自体は目的ではなく、叡智獲得の手段として、求められたのである。

これまた、見事である。

物知りでは、武士には、なれないのである。

しかしてこのソクラテス的教義は中国の哲学者王陽明において最大の説明者を見出した。彼は知合合一を繰り返して倦むところを知らなかったのである。
新渡戸

陽明学である。

ここで、最も大切なことは、孔子の五倫の道が、それ以前に、日本の生活の中に、息づいていたということであり、だからこそ、孔子の教えが、すんなりと、受け入れられたということである。

その、論語の良きところをのみ、日本人は、有していたと共に、改めて、受け入れたのである。

もし、論語なければ、いずれ、誰かが、それに代わるものを、著したであろうと、思うのである。

武士道とは、人間教育の最たるものであった。
であるから、武士ではなくても、それに準じて、人々は、武士道から、多くを学んだのである。

どんな職業の人たちも、一つの生き方の規範として、武士道の心得を持ったといえる。
これが、日本人の、優秀なところである。

武士の心は、男の生き方に、大きな影響を与えたのである。

よって、武士道を論じることは、日本精神を論じることになったと、思う。
だからこそ、新渡戸も、それを、書き付けたのである。

武士道が自己に吸収同化したる本質的なる原理は少数かつ単純であった。少数単純であったが、我が国民歴史上最も不安定なる時代における最も不安なる日々においてさえ、安固たる処世訓を供給するには十分であった。
新渡戸

延々として、言葉数多くの、思弁は、必要なかった。
要するに、屁理屈である。

言葉数多くして、語れば語るほど、言葉を必要とするという、西欧の思想、哲学の道は、必要なかったのである。

言葉に出来ないことを、語る努力・・・などと、知ったようなことを言う者には、到底、理解出来ない、日本人の知的能力である。

更に、和歌に代表される、歌の道、歌道は、武士の嗜みとして、更には、国民すべてが、その教養を持っていたという、驚きである。

国民すべてが、詩人である・・・
そんな国は、存在しない。

その際たるものは、天皇から、庶民に到るまでの歌を集めた、万葉集であろう。
正に、万葉集こそ、伝統の華である。

武士、もののふ、も、歌詠みする国なのである。
見事と、言うしかない。




posted by 天山 at 03:45| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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