手紙を広げて、軒の玉水のように、涙がこぼれる気がするが、傍にいるに女房達に見られては、良くないと、平静を装う。だが、涙が胸いっぱいになる気持ちがして、あの昔、朧月夜の尚侍の君を、朱雀院の后が、無理矢理会わせまいとした時のことなどを、思い出したが、目の前のことだからか、こちらは世間に無い話だと、感動するのだった。
色好みという者は、自分から苦労の種を蒔くことをするものなのだが。今となっては、何のために、女の苦労をすのるか、不相応な恋の相手だと、冷静にと努めるが、できかねて、お琴を搔き鳴らす。すると、優しく弾いた、あの音色が思い出される。和琴の曲を、すが掻きして、玉藻はな刈りそ、と遊び半分に歌うのを、恋しい人に見せたら、感動せずには、いられない御様子である。
すいたる人、とは、色好みの者。
だが、それは、精神と肉体との、美の探求者である。
好き者ではない。色好みである。
江戸時代になり、井原西鶴によって、再び、描かれる色好みである。
内にも、ほのかに御覧ぜし御容貌有様を、心にかけ給ひて、「赤裳たれ引きいにし姿を」と、憎げなる古言なれど、御言種になりてなむ、眺めさせ給ひける。御文は忍び忍びにありけり。身を憂きものに思ひしみ給ひて、かやうのすさび事をもあいなく思しければ、心とけたる御答へも聞え給はず。なほかのあり難かりし御心掟を、方々につけて、思ひ染み給へる事ぞ、忘られざりける。
帝におかせられても、わずかに御覧になった、御様子を、お忘れにならず、赤裳たれ引きいにし姿を、と嫌な古歌だが、口癖になってしまい、物思いに沈んであそばす。お手紙は、そっと、時々、遣わされた。自分を不運な身であると、思い込んでいらっしゃるので、このようなお手紙のやり取りも、つまらなく思いになり、打ち解けたお返事も、差し上げない。やはり、大臣の、またとないほどであった、ご好意を、何かにつけて、ありがたいと、思い込むのである。その殿様のこと、源氏を、忘れられないのだった。
玉葛の心境である。
三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹の面白き夕映えを見給ふにつけても、先づ見るかひありて居給へりし御様のみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、こなたに渡りて御覧ず。呉竹のませに、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いと面白し。源氏「色に衣を」など宣ひて、
源氏
思はずに 井手のなか道 隔つとも 言はでぞ恋ふる 山吹の花
顔に見えつつ」など宣ふも、聞く人なし。かくさすがに、もて離れたる事は、この度ぞ思しける。げにあやしき御心のすさびなりや。
三月になり、六条の院の御前で、藤と山吹が夕日に美しく映えているのを、御覧になるが、何よりも先に見る目にも、玉葛が、美しい姿で座っていた、ご様子ばかりが、思い出される。こちらにいらして、御覧になる。呉竹の垣根に、自然に咲きかかる山吹の、色艶が美しい。源氏は、色に衣を、などと、口ずさんで、
源氏
思いがけず、二人の仲は、離れているが、口には出さないで、恋い慕う山吹の花の身よ。
面影に見えて、忘れられない。などと、おっしゃるが、誰も聞く人はいない。このように、さすがに、すっかり離れてしまったことを、今こそ、はっきりと知るのだ。本当に、変な、遊び心である。
山吹の花は、玉葛を、象徴する。
雁の子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならず奉れ給ふ。御文は、余り人もぞ目立つるなど思して、すくよかに、源氏「おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨み聞ゆるも、御心ひとつにのみはあるまじう聞き侍れば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひ給ふる」など、親めき書き給ひて、
源氏
同じ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手に握るらむ
などかさしもなど、心やましうなむ」などあるを、大将も見給ひて、うち笑ひて、大将「女は、まことの親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見え奉り給はむ事、ついでなくてあるべき事にあらず、まして、なぞこの大臣の、折々思ひ放たず恨み言はし給ふ」と、つぶやくも、憎しと聞き給ふ。
雁の卵が沢山あるのを、御覧になり、みかん、橘に見えるように作り、何気ない風にして差し上げる。お手紙は、あまり人目に立つと気遣い、生真面目に、源氏は、御目にかからない月日が経ちますのを、意外な仕打ちとお恨みしていますが、あなたお一人の、考えではないように聞きます。特別の機会でなくては、お会いできそうにないのを、残念に思います。などと、親らしく、書かれて、
源氏
せっかく、私のところで、孵った雛が、見当たりません。どんな人が、持っているのでしょうか。
どうしてこのようにと、嫌な気がします。などとあるのを、大将も御覧になり、微笑んで、女は、実の親のお傍であっても、簡単に行って、お会いする事は、ちゃんとした場合以外は、してはいけないことだ。まして、どうして、実父でもないこの大臣が、時々、諦めもせず、恨みがましいことを、おっしゃるのだ、と、呟くのを、玉葛は、憎らしいと、聞いている。