2013年12月18日

慰霊と支援の旅は続く5

森の施設を後にして、向うは、自由戦死の碑である。

以前の日記に、その内容を書いているので、省略する。
兎に角、お寺の前に建てられた、慰霊碑に慰霊を行なう。

皆、二十代の青年である。

その目の前に、タイとミャンマーの国境を分ける、川が流れる。
その川が、今年の八月に、氾濫した。
豪雨被害である。

世界の至る所、自然災害が多く、報道されることは、無かったが・・・
ミャンマー側では、800名以上の死者数である。
タイ側では、四名の死者が出た。

タイ政府は、即座に支援に乗り出したが・・・
ミャンマーは、手遅れ。
そこで、ミャンマーの人々が、タイ側へ逃げて来た。
難民である。

それでも、ミャンマー側に人がいる。

今回は、その一つの貧しい集落を紹介されて、出掛けたのである。

さて、慰霊を終えた私達は、次の施設に向った。
その施設は、一度、訪れたことがある。
だが、その時は、大勢の子供たちが、チャペルに出掛けて、幼児たちだけが、昼寝をしていた。
その子供たちに、衣類をそっと、寝ている傍に置き、ビスケットを山盛りにして、去った記憶がある。

今回、その施設の、名前を確認した。
フューチャー・ライト・ホーム・スクール、である。

要するに、孤児たちを寝泊りさせ、学習させる施設である。

到着して、年長の男の子が対応してくれたが・・・
写真を禁止と言われた。
そこで、説明すると、代表を呼ぶので待って欲しいと、言われた。

その間の、時間が、20分ほど。
そこで、私は、子供たちと話した。
話した・・・言葉が通じない・・・

だから、近づく子供を抱き寄せた。
私が抱いた子は、丸坊主のハナという名である。
初めは、男の子と思ったが、聞くと、女の子であるという。
驚いた。

そして、納得した。
さらわれて、児童買春の犠牲になる女の子もいるのだ。
そこで、丸坊主にする。

ハナちゃんは、何と、ずっと私の膝の上にいた。
そして、ニコニコと、微笑んでいる。
辻さんには、三歳の男の子が、やって来て、その膝に乗る。

二人とも、とても、嬉しそうである。
親に甘えたい時期・・・
触れ合うことが、最も必要な時期。

私は、ハナちゃんの頬に何度も、キスをして、アイラブユーと、繰り返した。
ハナちゃんは、慣れてくると、私の手を取り、色々と遊ぶ。

子供の体温は、高いので、私の体が熱くなる。
代表が来るまで、ハナちゃんは、私に抱かれていた。

そして、辻さんの、トミーも、そうだった。
名前が英語である。
つまり、名前が無かったのである。

この20分で、子供たちが、私達を受け容れた。
代表が戻ると、写真は、オッケーとなり、即座に、子供たちに、衣類を一人一人、手渡す。

この施設も、プロテスタント系の支援により、成り立っていた。

次回は、学習支援が必要だと、思った。
寝泊りする隣の建物が、学習の場所である。

子供たち皆に、衣類が行き渡り、支援は終わり。
そして、すぐに、さようなら・・・である。

代表は、丁寧に私にお礼を述べた。
来年も、来ますから・・・

写真を撮り、この施設への寄付を募るという、詐欺に合わないようにとの配慮なのである。
私は、日本の支援者に証明するために、写真が必要ですと言うと、納得した。

最後は、子供たちが、入り乱れて・・・
ハナちゃんが、何処にいるのか、解らない。
だが、皆で写真を撮る時、ハナちゃんは、私の横に来た。

兎に角、日本語、英語、タイ語で、さようなら・・・

急ぎ、次の施設に向うことにする。

何とも、後ろ髪が引かれる。
もっと、子供たちと、触れ合いたい・・・
それが、最も理想的な支援だ。

そして、一度では、終わらない。
毎年訪れて、顔馴染みになり、その成長を見る楽しみ。

白倉さんが、子供たちに、沢山勉強しなさいと、言う。
勉強すれば・・・将来が明るい。

子供は、保護と、学習が必要である。
必ずその中から、ミャンマーを立ち上げる子が現れると、私は思う。
不幸な環境は、乗り越えられるのである。



posted by 天山 at 00:02| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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