2013年12月16日

慰霊と支援の旅は続く3

朝、八時になり、部屋から支援物資を下ろし、ロビーに置いていた食料品などを、ホテルの玄関前に出して、車が来るのを待つ。

その時間帯は、まだ、涼しい感じがする。
これが、次第に、暑さを増してくる。

私が先に送っていた、支援物資のダンボール、七個も積んでくる予定である。
合わせて、150キロ程度の支援物資である。

車が到着した。
総勢四名が乗っている。
白倉さん、その娘さん二人、そして、今回の運転をしてくださる中野さんである。

私たちの荷物を積むと、娘さん二人が、荷物と共に、車の後部に乗る。
日差しの強い中、荷物と共に乗るのである。
タイ式の、乗り方である。

申し訳ないと、言いつつ、私たちは、車内の乗った。

後は、白倉さんの指示通りに、動く。
まず、メータオクリニックへ向う。
無料診療所である。

最初は、ミャンマー難民のための診療所だったが・・・
その内に、貧しいタイの人たちも、来るようになったという。

最初だけ、30バーツのカルテ代金がかかり、その後は、無料である。
日本をはじめ、フランスなどからの、医者、看護師が、ボランティアで来ている。

診療だけが、無料ではない。
食事代なども、無料である。

だから、家族全員が来ている場合も、多々ある。
家族が、患者の世話をするという・・・

私は、まず、タオル類を出す。そして、衣類である。
大人から子供まで、男女共に。

それを病室に持って行き、皆さんに必要なものを、取って貰う。

私は、サワディーカップと、挨拶しながら、タオルを患者さんに、一人一人手渡す。
それが、最も大切な行為である。

写真撮影禁止であるが、私の場合は、特別何も言われない。
医者も、私からタオルを受け取る。
毎年来ているので、顔馴染みである。

着物と、日の丸・・・
それが、印。

衣類を広げた場所には、人だかりである。
そこは、辻代表に任せた。
出来るだけ多くの人に、行き渡るように、配慮する。

写真は、白倉さんの娘さん二人が、担当してくれた。

今回は、ビデオ撮影もする。

さて、今年、日本政府が、草の根支援として、このクリニックに、980万円の資金提供をした。ここで、ボランティアをしていた、日本の女医さんが、申請したのである。
めでたく、それが決まり、新しい建物のために、資金が当てられる。

行くたびに、クリニックが大きくなっている。

私は、奥に出来た、病棟にも、入った。
まだ、すべてが、ベッドではない。
床に寝ている人もいる。

バスタオル、フェイスタオルは、必需品である。
更に、バスタオルは、子供の毛布にもなる。
赤ちゃんを、それで包む人もいる。

今回は、病棟のみで、終わる。
その他に、併設された小さな学校もある。
食堂もある。
だが、すべてを廻ると、支援物資が尽きる。

手際良く支援して、さっと、立ち去るのである。
だが、最後に一枚、とても良い、子供用のガウンがあった。

私は、とっさに、奥の病棟にいた、男の子を思い出し、それを持って、向った。
男の子の顔を見ると、笑顔である。
夜の寒い時期になるので、彼に、それを着せた。
私の肩の荷が、ホッとした気分である。

何も言わず、笑顔で、別れる。

五年前に来た時は、随分と寂しい感じがしたが、今は、活気があり、人が集う。
物売りの店も、多くなった。
クリニックが、一つの村になっているのだ。

車に乗り込み、次は、中野さん宅に行く。
必ず、中野さんの霊前に、お参りすることにしている。

勝手知ったる、他人の家である。
玄関を入り、どんどんと、仏間に行く。

一番末の、お孫さんがいた。
そして、おばさんが、私たちを迎えてくれた。

私は、即座に霊前で、祈る。
正座して、南無阿弥陀仏を唱え、そして、祝詞を上げる。
中野さんは、念仏宗なので、最初は、念仏を唱えるのである。

ただ、霊前では、真心が伝わる。
若い時の写真と、老年になった、写真が掲げられてある。
実に、良い顔をしている。
意志の強い・・・

帰国せず、タイで働き、土地を得て、一家を成した。
その意志の強さである。




posted by 天山 at 03:07| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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