2013年12月11日

霊学135

動物界と人間との関係が、現在はきわめて悲惨な在り方をしています。かつて太古の時代の人間たちが残酷な殺し合いをしていた以上に、一方的に人間が動物を虐待しているのが現状です。
ところが動物界の本質はアストラルの世界―――喜び、悲しみの感情世界ですから、今いいました時間の感情の流れの中で、人間も当然その世界を共有しなければなりません。
地上で生活している私たちにとっては、自分たちとぜんぜん違った世界であるかのように見えるかもしれませんけれども、眠っている間の私たちは、あるいは死者たちにとっては、アストラル界の中で動物たちの魂のうめきが、自分のものとして感じられるのです。
高橋

これは、ユダヤ・キリスト教に対する、鋭い批判である。
人間は、動物を支配していいのである。

人間は、動物を殺して食べる。
更には、様々な、実験をはじめ、動物を虐待するのは、当たり前であると、考える。それは、ユダヤ・キリスト教の教えである、人間が主体の世の中であるということだ。

それは、兎も角、アストラル界の中で、動物たちの、魂のうめき・・・
動物の魂・・・
動物にも、魂が存在するということだ。

人間の魂の存在を信じられない者は、動物の魂の存在も、信じられないだろう。

私の霊学からは、動物の魂は、また、別の空間、次元に存在すると、考える。

果たして、シュタイナーの言う、アストラル界で、動物の魂の呻きを聞くのだろうか。
勿論、動物は、人間に奉仕して、生きた。
その命を人間に与えて、人間の命を生かした。
当然、その報いはある。

古代人が動物をいけにえに捧げたように、現代人は生態系を破壊しながら、文化生活を行なうのです。
高橋

古代人でも、それは西欧を主とする、ユダヤ系、セム系の民族であろう。
古代日本人は、動物を生贄にはしない。

だが、地上で、安楽に暮らそうとすると、環境破壊は、凄まじいものがある。

シュタイナーの霊界は、眠っているときと、死んだ後の世界である。
そこは、人間の魂に対して、地上を生きるときとは、正反対の生き方を求める。

ひたすら、生命への帰依、生命への畏敬がないと、霊界では、生きられないという。

神智学では、それを「反感」と「共感」と言う。

つまりこの世では、ひたすら反感の衝動、あるいは破壊の衝動に従って生きていくのに対して、あの世では、ひたらす共感しないと、霊的環境に適応できないのです。
高橋

そこで、
ですから死者にとっての重要な課題は、動物のアストラル界をも自分のものと考え、動物の生命をも自分の生命と一体化させることなのです。死者たちは、この世に生きている動物たちの生きる意志に協力しているのです。「神智学」で問題にしているものもそのことなのです。人間の死者たちが霊界から動物界に向って、生への畏敬の念を送っている結果だ、と言いました。
高橋

更に、死者たちは、他の人の魂と、自分の魂の融和、調和である。
死者は、孤立することなく、他の魂と結び付くことが出来なければならない。

そうしなければ、更に霊界に深く参入する事は、出来ないという。

これは、死者たちの話ではないだろう。
現界も、そのようでなければならない。

すでに、この世で、そういうことを行なうことである。

霊界での、生き方というものがあるならば、また、修行というものがあるならば、それは、全く違ったものである。

シュタイナーの理論は、すべてが、事実ではない。
それは、彼のみの、ものである。

確かに、この世は、融和的、調和的ではない。
現代の人間の在り方は、修羅の世界である。

現実の世界である。
その通りである。

そして、破壊的である。

人間が、いつから、そのようになったのか・・・
それは、人類が民族言語を身に付け、記憶力が本質的に変化するようになった時期からだというのが、シュタイナー主義である。

言語の表側と、裏側で、別な魂が、語り始めるようになったという。

私は、魂ではなく、精神と言うが・・・

人間の捉え方・・・
それは、様々な形がある。
シュタイナーの捉え方も、その一つであり、仮説である。

人間は肉体とエーテル体とアストラル体と自我からできています。昼間はその四つが一緒に働いているのですが、夜眠ると、ベッドの上には肉体とエーテル体だけが横たわっていて、アストラル体と自我はそこから離れていきます。
シュタイナー

人間を考える時、この四つの関わりを考えるのである。
つまり、四つの原理からなる、矛盾した存在であるということだ。

よく自己同一性と言いますけれども、自己同一性というものは、本来的にありえなくて、四つの異なる原則がそれぞれ自己を主張しているのです。ですから統一よりもむしろ分裂のほうが、いつも勝ってしまうのです。
高橋

シュタイナーの霊能力によって、解説されたものである。

そうすると、人間は、肉体と、エーテル体のみの生き方を選んでいるとも、言える。

アストラル体と、自我に気付かずに、である。
更に、この世に適応して生きるには、アストラル体と、自我に気付かぬ方がよいということになる。

分離しているものを、融合させる、統一させるというのは、現実には、不可能であると、いえる。





posted by 天山 at 07:23| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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