2013年10月07日

性について241

今年、2013年の国際美人コンテスト、つまり、ミスコンテストが、インドネシア、ジャカルタで、開催されることになったが・・・

インドネシアは、イスラムの国である。
即座に、イスラム教徒による、反対運動が起こった。

女が肌を露出するのは、イスラム法に反している。
更に、エロスである・・・

未だに、そのような世界がある。

そこで、大会は、イスラム色の少ない、ヒンドゥーのバリ島に変更になった。

さて、本当に、イスラムの人たちは、性的なものを、拒絶しているのか・・・
事実は、全く逆である。

世界的、歓楽街と言われる、タイ、パタヤには、多くのイスラム教徒が、遊びに来ている。
勿論、セックスを求めて・・・

自国では、決して出来ない遊びが出来るのである。
つまり、イスラム国は、時代と、相当に乖離しているのである。

更に、イスラムでは、肌の露出も禁止ならば、衣に隠された女の姿を見ても、欲情するのだろう。
また、その少年愛、ゲイの多数も、存在する。

時代に逆行する、イスラムの世界は、性に関して、混迷を増すばかりになるだろう。

ゲイの死刑などは、論外である。
世界的に、受け入れられるものではない。

長い性的抑圧が、何をもたらしたのか・・・
それは、欲情である。

だが、一度、それが開放されると、性的関係を求めないという、人種が現れるようになった。

日本の夫婦では、セックスレスという言葉が、定着した。

更に、草食系男子・・・
そして、若い女も・・・

共に、セックスを好まないという状態である。

抑圧された時代では、人間にとって、性がすべてであるという、意識さえ、生まれた。

これは、誤りであり、性は、一つのファクターでしか、有り得ないのである。

人間は、多くのファクターを有することが出来る。

性的快感、快楽は、最早人の手を離れて、大脳生理に行き着く。
電気刺激によって、性的快感が得られる時代である。
性は、本人だけの問題になる可能性もある。

この現代でも、性の手ほどきを受けることなく、手探りで、セックス、性的快感を求めている。

時代は、激動である。

よりよい性的快感を得るための、指導・・・
そんな時代が、近づく。

現在の売春行為とは異質のものとして、性的快感を与えてくれる男女のスペシャリストが出現することも十分に予想されよう。人間が、すぐれた芸術家によって情動的快感を受けたり、すぐれた調理家によって美味を味わうように、すぐれた性のスペシャリストによって性的快感を体験するのは、ごく自然であり、またそうすることは人間の権利の一部でもある。
巻 正平

もし、性的抑圧が、無くなれば・・・
性は、もっと、自由で、人間性としての、武器になるだろう。

それは、開放されることにより、性的放縦、耽溺などということが、無くなるからである。
性的精神疾患で無い限り、性は、解放により、選べるのである。

飢えている者が、満腹に満たされると、それ以上に食欲は無くなる。
性も、同じである。

つまり、性の自由が、放逸を生むなどというのは、幻想である。

性も、一つの選択肢になるのである。

レジャー時代の、リクレーションは、数多く存在する。
その中の、一つとなるのが、性である。

更に、肉体の意味が変容する。
イスラムのように、肉体を即、性的なものと、決め付けることは、なくなる。
肉体は、美であるという、意識に変容する。
すでに、そのようになっている。

裸が、性的なものとしてのみに、理解されるのは、性的異常の世界である。

未来生活の中で性が地味な存在となるだろうとする予測は、それがむしろ正常な性のすがたであることを表現したものといえよう。性の未来学はどうやら、今日の性的状態からは予測しにくい多くの未知のファクターによって構成されるべきもののようである。
巻 正平

巻氏の、人間にとって性とは何か、という本は、昭和48年の発行である。
すでに、昔のお話である。

その当時は、性教育に関しても、十分な研究がなされていなかった。
つまり、問題の核心に届いていなかったのである。

更に、性モラルの崩壊が、印象的な時代である。
性モラル・・・
それでは、イスラムのような、モラルが必要かといえば、全く逆である。

抑圧は、歪な性感覚を生む。
開放と、自由は、より人間的な、性的関係、性的快感を得ることになる。

セックスが、個人に帰結するということである。
百人百様のセックスが、認められるということである。




posted by 天山 at 06:43| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。