2013年10月04日

霊学124

神秘学でいうところの、霊的存在とは、何か・・・

たとえば人の集まる部屋は、人びとのいろいろな想いが立ち籠めています。その立ち籠めている想いがあるために、その部屋が一種独特の雰囲気を持っているわけです。そこにいる人が、みんな善意を持ち、なんとなく楽しそうであれば、その場の雰囲気は明るくなります。みんなが悪意を持っていたり、なんとなくつまらなそうだったりすると、暗くなります。そういう心の動きが眼に見えるような、見えないような力になるのです。同じ場所にいる人たちがみんな気持ちを一つにして、一つのことに集中しますと、その想いは四方八方にバラバラに流れるのではなく、一つの流れに合流します。そして、そのように集中したとき、そこに霊的存在の実体化が、眼に見えない実体化が生じるのです。
高橋

みんながてんでんバラバラなことを考えると、霊的存在は力を働かせることができません。霊的存在の中には、この世から去った死者たちもいます。死者たちはもちろん、肉体をもっていませんが、それでもその死者たちの籠められた想いは独立して存在しています。死者たちの個性、つまり「自我」も存在しています。
高橋

ということで・・・
それを、信じられるか、否か・・・

シュタイナーが言う、霊的存在とは、上記を言うとの、説明である。

更に、その霊的存在の中に、高次の存在がいる。
個人のエーテル体にではなく、人々の間に共通の、エーテル体が形成された時点で、その集合エーテル体の中に、人間の個性が肉体に受肉するように、受エーテル、つまり、憑依してくる。

集合エーテル体がないと、その霊的存在は、地上に働きかけることができないのである。

これが、実に、想念の問題なのである。
人の想念が、作り出す、想いのエーテル体・・・
例えば、観音様、菩薩様・・・神様・・・

集合エーテル体である。

つまるところ、人間が必要なのである。
そして、人間の想い、想念が必要なのである。

私が言う、霊的存在とは、その想念のことである。
想念を霊と、呼んでもいい。

死者の想念が、消滅するまで、霊として、存在すると、私は言う。

神秘学では、霊的存在は、眼に見えないエーテル体を通して、媒介して、受肉するという。それは、物質体、人間、動物、植物、鉱物でも。

植物、鉱物のエーテル体と、そこに作用する霊的存在を問題にすることを、アニミズムと言う。

エーテル体は、特に人間の場合、個人においてだけではなく、共通の想いを複数の人間が担うとき、特定の土地で人々が、特定の雰囲気を生み出すとき、その雰囲気の中に受肉するという。

共通の血を持った子孫たちが、血のつながりで結び付いたときも、その共通の血の中に、受肉する。

これが、民族霊の出来上がりになるのだ。

ここで言う、受肉というのは、存在と、同じ意味で、私は考えている。

シュタイナーは、その民族霊を、二つの種類に分けて考えている。

民族霊は二種類、互いに異質な在り方をして存在している霊たちなのです。
高橋

民族霊は、人間に言語を与えた。その民族霊は、今でも、日本語を通して、コミュニケーションをしているときに、その日本語を通して、働きかける。
その一方では、異なった土地、環境、人間関係、あるいは気質なりの中に働きかける、民族霊である。

一方の民族霊は、言葉を通して、つまりあらゆる民族成員に共通する言語を通して、一様に働きかけてきます。ところがもう一方には多様に働きかける民族霊もいるのです。
高橋

更に、高次の霊は、民族霊だけではない。
民族をも超越した、もっと高い次元が幾つもある。
人類とか、世界という、次元である。

共通の時代についての想いを吹き込んでくれる高次の霊的存在は、民族霊とは別に「時代霊」と呼ばれています。
高橋

その時代霊の、背後には、大きな進化の流れの中の、人類全体と関わる、霊的存在がある。
それが、人類霊であると、言う。
または、形態霊・・・

いったい、民族霊というものが仮に存在するとして、その民族霊の衝動は一人ひとりの人間の中からどのように表面に表れてくるのでしょうか。シュタイナーの観点から考えると、それは三重の仕方で、個々の人間の内部から現れてくるのです。
高橋

それは、一人一人の気質を通して、エーテル体の在り方を通して、働く。

一番簡単な例として、四つの気質、粘液質、胆汁質、多血質、憂うつ質、である。
憂うつ質は、衝動を表面に表わさないので、胆汁質と多血質と、粘液質が、個人の中に持つもので、それを通して、民族霊が、働きかけるという。

気質、つまり、エーテル体となる。
だから、民族霊が、それを通して、一人一人の人間に働きかけるのである。
媒体となるのが、気質、エーテル体である。

実に、壮大な思索・・・または、妄想・・・
信じる前には、知る行為が必要である。

知る、ということも、それぞれの理解度による。
この問題を、どのように、理解するのか・・・
あるいは、批判するのか・・・
融合を旨とする、神秘学であるから、融合を考えるべきか。

これらを、図にすると、非常に解りやすいが・・・
解りやすいから、理解出来るわけではない。




posted by 天山 at 05:47| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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