2013年09月29日

国を愛して何が悪い94

日本の植民地経営が中国と異なる点は、日本が内地の延長としてインフラ整備をはじめとする殖産興業を行なったことである。それは朝鮮においても同じだった。中国のように中央が地方から収奪するのとは逆に、日本は逆に中央から地方に対して財政支援と産業投資を行なっていた。
台湾に総督府が設置されてから10年間は赤字財政で日本から支援する一方だったが、財政が自立すると島内の産業とインフラに再投資が行なわれた。台湾軍の経費もすべて日本の中央政府から支給されている。
台湾の工業化社会への変身は戦後から始まったのではない。今世紀のはやくも30年代から始まっている。工業生産の面でも、日本の南進基地として建設が急ピッチで進められ、30年代末には工業生産が農業生産を上回った。
黄 文雄

初代総督、樺山資紀の在任中は、台湾民主国の反抗と、各地方のゲリラの抵抗を鎮圧することで、明け暮れた。
二代目は、桂太郎である。三代目に、乃木希典が就任。
この期間も、ゲリラの抵抗がやまず、鎮圧のために、武力を投入した。

統治が軌道に乗ったのは、四代目、児玉源太郎の時代である。

だが、児玉は、国内の政治で多忙なため、その八年あまりの統治は、民生長官を務めた、後藤新平に任せていた。

後藤は、生物学的原理に基づく、統治方法だった。

つまり、文明国の制度を強制して、強引に開化させようとしても、それは虐政になる。台湾の統治も、まず、この島の旧習を科学的に調査し、民情に応じて、政治を執り行うべきであるという。

ヒラメの目をいきなりタイの目のようにつけかえようとするやつは、ほんとうの政治を知らない
と言い、過去の統治を批判し、民情に即した、統治を実施したのである。

後藤は、台湾の経営をするために、土地調査を含める、大規模な慣習調査を行なった。自ら、会長となり、内地から大学教授を招聘して、徹底調査を行なう。

この記録は、現在も、台湾にとって、大きな文化遺産となっている。
この調査に基づき、道路を建設し、鉄道、港湾、水道などのインフラを整備した。

兎に角も今に至る台湾の道のりを作り上げたのである。

その一つは、鉄道である。
3000万円の資金を投入し、明治42年までに、台湾に縦貫鉄道を完成させた。
中国の統治とは、天地の差である。

インフラ整備のうちで、最も力を入れたのが、上下水道の整備と、衛生管理である。
何と、上下水道は、台湾の方が、日本より先に実施されたという。

台湾の有史以来恐れられていた、熱帯の風土病が克服され、人々は、伝性病におびえることなく、生活ができるようになった。

衛生観念を植え付ける、啓蒙活動、病院建設などを通じて、環境が良くなり、日本の植民地経営の間に、人口が、三倍に増加したのである。

台湾400年史の中でいくら探しても後藤以上に政治、経済、文化のあらゆる面で台湾の近代化に貢献し、それを超える統治者はいまだかつて出ていない。だから台湾近代化の父といえば後藤新平以外にない。


台湾は、マレー系やポリネシア系の先住民を除き、常に、移民を受け入れてきた。
アメリカ大陸への移民が盛んな頃、中国大陸の東南部沿岸から、漢人移民が台湾に、入植した。
これが、第一の移民である。

次の移民は、日本統治時代に入ってきた、日本人である。

日本人は、維新以来、日本で養成されてきた、人文、科学の逸材が、多く台湾にやってきた。そして、近代化の建設を行なった。
そこには、後に書く、八田与一もいた。その数、数十万人である。

第三の移民は、敗戦後に、中国からやってきた、中国人である。
彼らは、戦勝国という立場で、日本の民間人40万人全員を、追放した。
そして、彼らは、日本人が築いた財産を食い潰して、生きた。

中国人とは古来より中原より発し、イナゴの大群のように南下しつつ自然を食い尽くしてきた民族である。今日にいたって改革開放を口では唱えているが、道路や電力などのインフラ整備は自力でやろうとせず、すっかり外国企業の投資に頼っている。台湾の近代化は日本人の経営なくしてありえなかったことは誰も否定できない。40万人日本人の追放は台湾の文明史にとってどれほど大きな人材の損失だったか。このことを考える人はいったい何人いるだろうか。
黄 文雄

と、いうことで、中国人は、いつも破壊する者との、認識を深くする。
黄氏は、イナゴと、表現するが、私は、ゴキブリと呼ぶ。

一匹のゴキブリが見つかれば、一万匹のゴキブリが存在する。

台湾は、中国ではない。
またまた、蒋介石が、逃れて来ただけであり、中国とは、言えないのである。
台湾は、台湾でいい。

蒋介石は、いずれ中国の地に、埋葬されるようにと、その遺体を、土から何センチか上げているという。

それに比べて、日本人は、台湾の地に、骨を埋める覚悟で、台湾の近代化に尽くしたのである。
その差は、天地の差である。

その一人、大正7年、1916年に、台湾の総督に就任した、明石元次郎がいる。
彼は、同じ年に、陸軍大将となり、台湾軍司令官をも、兼務した。

その、明石の業績は、凄まじいものがある。

日月譚、にちげつたん、という有名な観光地がある。
現在の観光ガイドブックには、天然の湖と、書かれているが・・・
違う。

明石が、総督時代に着手した、ダムである。

明石総督の、業績は、管制の改革、教育令と森林令の発布、三審制度の実施、そして、中部海岸の鉄道の新設、嘉南大「土編に川」事業、台湾電力株式会社の設立である。

その電力が、日月譚水力発電事業である。




posted by 天山 at 06:02| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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