しかし、国民国家という場合は、そのための、共同幻想が必要である。
それが、神話などの伝承、書き物である。
更に、象徴である。
幸いに、日本は、天皇を戴いている。
これは、僥倖である。
個人の価値観の多様化は、素晴らしい。
そして、自由である。
それも、日本は、憲法で保障されている。
しかし、公の場に出た場合は、一つの価値観を共有する礼儀というものが、必要になる。
それが、国旗掲揚と、国歌斉唱の際の、起立である。
更に、戦争犠牲者に対する、畏敬と、慰霊である。
国民としての、常識である。
それが、常識も、様々だと、いう、価値観と同じように考えると、誤る。
先の、共同幻想と同じように、持つべきであり、子供たちに伝えるべきである。
そうでなければ、国が、滅びる。
滅びるとは、その精神が、崩壊する。
更に、国に対する、思いが、全く無くなる。
それは、どういうことか・・・
いくら、国会議員を選挙で選んでも、その、基準が無いということ。
投票して、自分に利益のある、議員を選ぶという、第三国のような、国に堕落するのである。
更に、国のために、という、大義も失われる。
また、そのように、言う候補者がいないし、語っても、信じられないのである。
いつまでも、拉致被害者をそのままにしている、日本の政治家を、誰が、信じられるだろうか。
遺族もそのうちに、死ぬから、忘れ去られる・・・
そんな馬鹿なことを、言う、馬鹿がいる。
国なんて・・・
ところが、すべて、国によって、成り立っているのである。
だから、国民国家であり、自由民主主義というものを、信じていられる。
賢い馬鹿は、海外に出て、日本人を意識することは、無いなどと、言う。
自分の能力で、国境など、関係ないと言いたいのだろうが・・・
そんな人間が、他国で信用されるのか・・・
自国に誇りの無い人は、他国に国籍を持っても、誰も信用しない。
この人間は、国など、どうでもいいと、思っていると、思われるのが筋である。
自国を裏切る者は、他国をも、裏切るのである。
当然だ。
世界市民などという、麻薬に冒された人間が言う、アホな話を信じている馬鹿は、いなだろうが・・・
いるのである。
常識的に考えて、それは、成り立たない。
国と、民族の誇りをもてない者は、どこに出て行っても、信用されない。
ある、外国人が、自分の国を信用できない・・・
自分の国は・・・
私も、それを聞いて、彼を信用しなくなった。
アメリカ人であれ、ドイツ人であれ・・・
自国を敬愛しなければ、海外に出て、信用されない。
だから、日本を愛する・・・と、外国人が言う・・・
それで、私は、喜ばないのである。
自国を敬愛して、日本も共に、愛するというなら、信用できる。
親を否定して、わが身の存在を、肯定する馬鹿はいないだろう。
私は、そのように、考える。
これも、一つの価値観である。