2013年09月06日

霊学120

最高の唯一神とは、人間と神の間には、虚無しかないと考える、神秘学、シュタイナーである。

そして、その間の、ものは、すべて悪魔となる。
確かに、キリスト教では、そのようである。

そうすると、人間はどんなに進化したところで、いつまで経っても人間だ、ということになってしまうので、人間の進化は意味もそこからははっきり出てきません。逆にいうと、どんな優れた人間も、まったく劣った人間と同じただの人間に過ぎないし、これから何万年、何十万年、あるいは何十億年人類が地上に生きていたとしても、それが人間である限り今の人間と本質的に変わりない、という発想になってしまうのです。
高橋

そこで、そのような考え方は、西洋よりも、東洋にある。
道教、仏教、神道・・・

シャマニズムを基底に持つ宗教は、人間と神の間に、無数の霊的存在を考えて、それぞれが、一つの調和した全体をなしていると、考える。

西洋と東洋の間を、霊的意識的に、深く結び付けようとするのも、シュタイナーの大事な思想である。

神秘学から、西洋と、東洋の結び付きを考えるという、試みである。

そこには、霊的存在があるということが、前提である。
そして、霊的存在も、進化する。
とすると、更に、高い階位にある、霊的存在も、同然存在するはずである、となる。

人間を出発点として、考える形である。

だが、ここで、東洋と一口に言うが・・・
東洋は、広い。
更に、東洋でも、多くの無明がある。

日本と、朝鮮半島でも、中国でも、インドでも、違うのである。
細部に至ると、別物である。

日本は、インドをはじめ、中国、朝鮮半島、更には、チベット、ビルマなどの、仏教、密教が伝わるが・・・
それらが、すべて日本流にされている。
日本にて、咀嚼されて、別物になっているのである。

霊的存在があるとし、更に、高次の霊的存在についても、問題になるというが、その高次の霊的存在の、有無をいかに判定するのか。

問題は、それである。

例えば、霊的存在の自己申告を、そのまま、鵜呑みに出来ないのである。
それを、鵜呑みにしてしまうと、蒙昧になる。

さて、再度、理性と、感性についてを、見ることにする。

十二の感覚と、七つの生命活動というもの・・・
シュタイナーの考えたものである。

それを、融合という、ソフィア的考え方をとる場合の、判断についての具体的、考え方である。

高橋氏の、講義で行くと、
唯物論があり、それと対立するのが、唯神論となる。

万物は、神によって作られたという、立場。
一切は、もともと物質として、物として存在して、それが複雑な変化、発展の中で、意識が生まれ、精神が生まれ、最後に、神が生まれたという、考え方。

その唯物論が、素朴実在論に留まらず、知的な認識批判が、唯物論と結び付いていくと、カントが述べた発想になる。
それは、学問は、数学が存在する限りにおいて、学問である。

つまり、数学的な原理に基づかない学問は、本質的に学問とはいえない。
数学的に表現されるものが、はじめて厳密な意味での、科学になるうる。

感覚的に把握されうる物質そのものというより、むしろ数量的関係の方が、基本である。
数学的に把握できるときに、はじめて、ものの本質が、とらえられるという、数理論が、唯物論から、派生してゆく。

だが、数理論からは、決してその存在が、数だけでは、説明がつかないのである。
数以外にも、様々な概念が、物質の構造と、結び付いている。

その存在の中に、どのくらいの、イデーが含まれているか、それによって、はじめて存在の本質が把握できるという考え方になれば、デカルトの合理論が生まれる。

更に、それを深めてゆくと、理想論になってゆく。
つまり、それぞれの概念を、考え続けてゆくと、である。

理想論が出てくると、その対極に、現実論が出てくる。

理想論により、ユングのような思想家が出てくるのである。
つまり、すべは、心にすぎない。自然学者が発見したことでも、それは、心が作り出したものであると、なる。

もし、心の存在が、幻想であれば、この現実の一切も、幻想になる。
存在の、根拠を辿ると、心に行き着く。すると、それは、唯心論になるのである。

だが、ユングは、心は、物質のように、なまなましい現実としては、捉えていなかった。しかし、そこまでに至ると、霊が存在しているのではないか。
更に、物質の世界とは、それとして存在しているが、物質と別の世界が、現実として存在するのではないかと、なる。

別の現実の世界、つまり、霊的世界である。
この世は、別現実の、霊的世界が、関与して、成り立つというところまで行き着くのである。

霊的なある形を知ると、それが、いつか現実の世界で、実現するだろうということで、予言が可能になる。

創造のプロセスから言っても、霊界があり、そして、現実の世界があると、考えるのである。
すると、それは、唯霊論になる。



posted by 天山 at 05:57| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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