2013年09月05日

霊学119

この新しい感性の文化は、シュタイナーによれば、太古の文化の復活を意味するのですが、その場合の太古の文化とは、神殿文化のことです。神殿文化とは、宗教と芸術と科学がひとつのものとして存在できるような文化のありかたです。
高橋

ある行為が、宗教的な行為であり、祈りの行為にもなり、同時に科学的な認識の行為にもなるというものである。

宗教と芸術と科学の新しい統一である。
そうすれば、合理主義がぎりぎりのところまで発達した、現代の文化状況の中に生じさせれば、理性を否定することなく、太古の時代に戻るのでもない、新しい時代の出発点になると、考える。

太古の神殿文化・・・
そこでは、常に、何らかの仕方で、芸術と宗教が結びついていた。

その認識では、唯物論的な意味ではなく、人間や宇宙を巡る目に見えないものに対する、認識である。

太古の神殿文化は、未知のものに対する、畏敬に溢れていた。
それを、新しい時代に、再度取り入れることで、感性の時代へという。
何とも、へんてこない話だが・・・

改めて、太古の神殿文化などを持ち出さなくても、いいと、思うが・・・

その名残は、西洋ではなく、東洋にあるという、解説である。
東洋の中で、より具体的に、体験出来ると言う。

ヨーロッパの白人主義の文化には、二つの側面があります。ひとつは悟性魂の文化を生み出した白人文化として、宗教的権威主義、政治的権力主義を育ててきた流れです。けれども同時に、この白人文化の中でこそ、はじめて意識魂と悟性魂との闘いが非常に徹底した仕方で遂行されてきたのです。
高橋

西洋以外の、東洋、その他の諸地域では、悟性魂と意識魂の闘いが起こると、必ず悟性魂によって、意識魂が、潰されてきた。
そこで、意識魂と、悟性魂は、ヨーロッパにおいて、初めて、遂行されたという。

だから、我々は、ヨーロッパ志向が、どうしても生まれてくると言うのである。
これが、西欧礼賛の注目すべき、感情なのかもしれない。

意識魂の学習のためには、どうしても、ヨーロッパを通過する必要があった。
私は、そうは、思わないのである。

シュタイナーは、西洋における、意識魂の成立過程を非常に重要視する。
それが、他の世界では、見出せないので、ヨーロッパを、どこまでも、出発点としようとした。

更に、従来の白人主義を否定するためにこそ、そうしたのだと、言う。

ところが、シュタイナーが二十世紀初頭で、その問題に関わっていた時、大部分の西欧のオカルティストは、悟性魂のオカルティズムを復興させようとしていた。

ただ、唯一、ブラヴァツキーの書いたものが、はっきりした、意識魂的、反白人主義的な、オカメティズムを感じさせるとの、弁。

そのブラヴァツキーのものでさえ、それを読み取らず、再び、悟性魂的オカルティズムに戻った。

白人主義、つまり、アーリア主義・・・

シュタイナーは、そのアーリア主義を克服する道具として、ヨーロッパの意識魂=ヨアキム主義的側面を、取り上げた。

この辺になると、突然だが・・・
日本の親鸞に、非常に近くなってくるのである。
突然だが・・・

シュタイナーは、普遍的な、人間主義を生かすため、意識魂による、愛の思想と、自由の思想とを最後まで、守り通そうとしたと、言うが・・・

高橋氏は、
うっかり東洋の認識の立場に立つと、悟性魂の立場に立ってしまうので、ヨーロッパの白人主義の否定する武器を持つことができないので、もうひとつの人種差別主義を東洋の側から生み出すだけだと、考えたのです。
と、ある。

親鸞は、救いようの無い身が、救われるなら・・・
どうせ、地獄が棲家である。
弥陀の本願を信じる以外に無いということを、ああでも、こうでもと、思索し続けた。
今までの、信仰である、自力を捨てて、絶対他力の信仰を、徹底的に、深めようとした。しかし、それは、単なる、一人相撲であった。

シュタイナーも、実によく似ている。

親鸞を説明していると、先に進まないので・・・

シュタイナーも、一神教と多神教について、考える。
彼は、多神教である。

それは、本当に高級な神は、人間に関わる必要か無い。
地上に関わる神とは、最高神の委託を受けて、物質の世界と、関わろうとする。

もし、神と人間の間に、結びつきようのない、深淵があり、それが両者を隔てて、人間の側から、神の方に、橋をかける可能性は無い。
ひたすら、神に祈る以外に、神に向き合う方法が無い。

それは、神と人間との関係は、優者と劣者との関係になる。
つまり、ロゴスの論理、理性の論理でしか神を、考えられないのだ。

そうではなく、出発点を、人間にして、その人間の上に、高次の存在でありながら、まだ宇宙を創造する力がないような、そういう霊的存在、例えば、かつて地上に生きた死者たち、天使のような霊的存在たちをも、肯定することが、可能となるような、存在である。

そしてそういうさまざまな霊的存在といえども、過去から現在までの過程で進化しなかったはずはないし、霊的存在が進化していくとすれば、さらにそれ以上高い位階にある霊的存在も当然存在するはずだから、そのようなさらに高次の霊的存在についても問題になります。
高橋

実は、これが、大問題である。

悟性魂、意識魂と、言ううちは、理解出来るが、そこから、神の云々となると、おかしくなる。

更に、霊的存在・・・
死者の霊、天使の云々・・・

彼が、説く、神秘学、人智学・・・
それらも、ロゴスであり、悟性魂の、賜物であるはず。

西洋と東洋との間を、霊的意識的に、深く結び付けるというのも、シュタイナーの大事な思想である、とする。

ここで、私の霊学と、衝突する。
西洋と、東洋、そして、日本の霊的意味は、全く違う世界の問題である。
だが、続けて見てゆく。




posted by 天山 at 06:36| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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