2013年08月06日

神仏は妄想である。427

伝承に見る、バァール神話をみる。

バァールは豊饒の神、「雲に乗る者」、稲妻と雷雨の神、ハダドとも呼ばれる。

バァールには、父と母、兄弟たち、そして、妹がいる。
父の名は、エールであり、もろもろの河の源、大洋に君臨する大神。母は、アシュタロテ、すべての神々の母である。

兄弟の一人は、ヤム・ナハル、洪水の神、他の一人は、モート、火の空で大地をカラカラに干上げる神。

バァールは、この二人の兄弟と、雌雄を決し、王権を確保しなければならない。
その運命を背負ったバァールのために、身命を賭して献身する妹、アナトがいる。

さて、バァールの第一の相手は、荒れ狂う海と、洪水の神、ヤム・ナハルである。
ヤムは、父エールに強請して、バァールの王権の剥奪を図る傲慢、卑劣な神である。

バァールは、ヤムの策謀を知り、激怒して、ヤムを打ちのめした。
ヤムを倒したバァールは、ゼフォンの山頂に祝宴をはり、王宮を造営して、妹アナトの強力な支援により、王権を確実にする。

第二の戦いは、モートとの闘争である。
モートは、大地が火の空によって、乾き、穀物や果実が実る季節、大地を掌握し、支配する収穫の神である。

この神との一連の闘争物語が、バァール神話の重要な文献となっている。

バァールの死のドラマが、克明に描写されている。

物語は、バァールが、おそろしく貪欲な怪獣に飲み込まれるところから始まる。

恐怖におののくバァールは、モートに隷属を誓う。

父エールの元に、使者が来て、バァールが死んで、野に倒れていることを告げる。
エールは、悲嘆にくれて、王座をおりて、地に座し、頭に塵をかぶり、麻布を身にまとい、石で、頬と顎を傷つけ、胸をかきむしって、バァールの死を悲しむ。

バァールが死ぬと、大地は干上がり、豊かな沃地は、荒野となった。
父エールの悲嘆を見た、アナトは、一人バァールを求めて、山野を漂泊する。

そして、美しいシールマットの野に倒れる、バァールの死体を発見する。
アナトは、泣く泣く、バァールの遺体を、ゼフォンの山に戻り、そこに埋葬する。

バァールは不在となったが、バァールに代わり、王位を継ぐことのできるものは、いなかつた。

歳月が流れた。

悲しみの乙女アナトは、モートをつかまえ、激しくモートを糾弾して、バァールを返してくれるように訴える。

それから数日が過ぎ、数ヶ月がたった。
アナトの中で、バァールに対する慕情が、抑え難く高まった。

アナトは、復讐を決意する。

アナトは、少女をおとりに、モートをひきよせ、モートを捕らえる。
アナトは、剣を持って、モートの体をずたずたに引き裂き、風を送って、吹き分け、火にかけて焼き、碾臼でひいて野にまいた。

エール王が、夢に幻を見た。
天の油が地に落ちて、雨となり、涸れた谷に蜜があふれ出した。
王は歓喜して言う。
アナトよ、聴け、バァールは生きている・・・

バァールが再びゼフォンの山に戻り、モートも再生して、再び、両者の間に、激しい闘争が開始される。

しかし、共に力尽きて、倒れる。
女神シャバシュが仲裁に入り、両者は、引き分けて和解する。
こうして、バァールの王権が確保された。

その他、神話には、バァールとアナトとの婚礼の物語などがある。

バァール神話の、死と再生のドラマは、季節の交替のドラマに重なる。

バァールが倒れると、モートが支配し、モートが倒れると、バァールが支配する。

雨季と乾季が交替し、種蒔く季節、収穫の季節が継起するのである。

バァール再生は、雨季の開始、モート再生は、乾季の開始である。

この神話は、一年を二分する、地中海世界の雨季と乾季の交替のドラマであり、それが、生き生きと、リアリティを持って展開するのである。

われわれは、死の神モートとの闘争に、アナトの勝利の舞をみる。アナトは右手に剣、左手に白布をつんかでおどる。古代オリエントの勝利の女神の原型をうつしだしている。この女神が問題なのだ。
山形孝夫

なぜなら神話の目的は、この処理の女神と再生の男神との婚姻の叙述にあるからである。再生のバァールとの祝婚の歓喜のなかで、アナトはバァールの子を宿す。アナトに宿った生命は、大地の豊饒の確証であった。物語は、ここで完結している。
山形

そして、この神話の原型は、ギリシャ世界に、アドニス神話として知られる物語がある。

それは、美少年、アドニスと春の女神、アフロディテとの恋物語からなっている。

そして、そこにも、死と再生のドラマがある。
物語としては、同じ類型である。

更に、エジプトにも、同類の物語、オリシス神話がある。
ここでも、死と再生がテーマである。

それは、矢張り、季節を二分する基底がある。
古代オリエントの農耕社会は、死と再生の儀礼によって、一つに結合されているのである。
その源流を辿ると、美しい豊饒の女神に出会うのである。
つまり、大地母神となる。

女神は、聖なる処女であり、花嫁であり、悲しみの女であり、花婿の再生を左右する原理であった。この女神の演ずる悲嘆と歓喜のドラマのなかに、人々は大地の収穫と豊饒を約束する救いのドラマをみたのである。
山形




posted by 天山 at 05:07| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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