2013年06月15日

ミンダナオ島へ10

色々な戦記を読むと、戦闘場面が出てくる。
しかし、私は、それ以上に物資の不足により、困窮する様を、じっくりと読む。

敗戦が近くなると、輸送船も、次々と攻撃され、海に沈んだ。
つまり、何も日本兵には、届かなくなる。

特に、悲惨なことは、食糧である。
飢餓・・・
これが、兵士たちの心を狂わす。
戦場の様だけではない。
飢餓で、精神に変調をきたすのである。

ミンダナオ島戦記
荒木 員力氏の、著作から引用する。

この方は、カガヤンデオロから、西ミンダナオを中心に活動した方である。
米軍のみならず、モロ・イスラムの勢力との戦いもあり、大変な戦場であった。

原始林は河岸まで茂って未開のままの姿だった。そこには、あてにした土民の家もなく、したがって食物もなかった。河は満々たる水をたたえて、太古以来の悠久の流れを形成していたが、まだ雨期に入っていないのが幸いだった。一行は渡河点を探して、朝もやの中を、首までつかりながら、もう幾日も食物といえるようなものを食べていない。腹に力を入れて岸へ渡っていった。こうして、一応米軍のサンドイッチの中から脱出したとき、人々はようやく空腹を覚えた。だが、これが密林行の初夜であり、軍旗のもとへの道はまだ80キロもあり、これからのことだったのである。

ジャングルの中、河を渡るという・・・

「軍旗のもとへ」という合言葉を、ただ一つの心の支えにして、杖にすがり、足をひきずりながら歩いていった。

わずかに彼らの露命をつないでくれたのは、バコボ族が山を焼いて作った薩摩芋の畑が尾根づたいに点在していたからである。畑といっても、焼き払ったジャングルに、そのまま苗を植えたもので、畝をこしらえてつくるわけではない。一坪掘り返しても小指の頭ほどの芋がとれる程度のものが多く、むしろ芋の葉が命をつないでくれたといったほうがよい。

このように、食べ物に関する記述は、見逃せないのである。

生きるために、戦うために、食べなければならない。しかし、それが無い。
飢餓の苦しみは、地獄である。

この頃、ミンダナオ北部のマライバライ村の東方シライ集落付近では、兵団司令部と歩兵二個大隊「歩兵七十四連隊の第二大隊と歩兵七十七連隊の第一大隊」強と野砲数門が最後の抵抗を試みていた。かつて、鮮ソ国境の張鼓峰で活躍したこの部隊は、上陸以来、兵団の図上戦術的運用とマラリアなどの悪疾の犠牲となって、人員装備とともにボロボロになっていながら、まだ敵に噛み付く気力だけは失っていなかった。

飢餓と、病気である。
特に、南国特有の病である。
それで、どんどんと、兵士が斃れた。

しかしながら、このような断片的な奮闘は、すでに比島における天下の大勢に影響を及ぼすような戦闘ではなく、米軍としても窮鼠に噛み付かれる愚を悟ったものか、放っておいても死のほかに道のない日本軍を攻撃することをやめ、密林内にとじこめて、砲撃を繰り返すだけになっていた。シライ周辺の陣地内では、毎日栄養失調でたおれる兵が増し、死臭が鼻をついていた。

そして、ゲリラ戦を戦うために、移動するが・・・

結果は、
こういう日が続くうちに、人が斃れても埋めてやらなくてもよいという不文律が、いつしか山の中に出来上がっていった。他人を埋めてやることは、力が尽きて自分もそこに埋まることを意味していたからである。環境が人の掟をつくる例である。

散々な、道行を行く兵士たち・・・

このころ、米軍の心理戦部隊の活躍は目覚しく、投降勧告のビラが、しきりに、このような陣地に降ってきた。痩せこけた日本兵が離れ小島で一人で泣いている絵もあったし、三八歩兵銃は明治三十八年の日露戦争の遺物であるとか、捕虜収容所で良い待遇を受けている日本兵の写真もあった。活字に餓えた男たちが、これを読まなかったはずはないが、痛めつけ、さいなまれても、固く祖国の勝利を信じて、投降しようとする者はなく、ジャングルの中に朽ち果てる草むす屍が増えていった。

運命の昭和二十年八月十五日が、この山奥にもやってきた。この日、米軍の射撃がパッタリとやんで、やがて一機の米軍輸送機が日本軍の頭上にラジオを空中投下してくれた。ジャングルの湿気で日本軍の無線機が駄目になっていることを米軍が知っていたのである。ラジオの梱包の宛名は、明らかに両角兵団閣下となっていた。やがて、南方軍の無条件降伏の命令が、このアンテナにはいり、戦争が終結したことを、ジャングルの中で朽ち果てつつあった戦士たちにも伝えられた。そして広島と長崎に原子爆弾という新型爆弾が投下され、天皇陛下が終戦の詔勅を放送されたという噂も流れてきた。

不思議なことに、終戦と聞いて涙を流す者もなく、放心状態の中にもほっとした明るささえただよっていた。

以上、抜粋である。

食べられるものは、何でも食べた・・・
しかし、食べるものが無いという、状態での、悲劇がある。

人肉である。
ただ、それだけを、記しておく。

人間を、そこまで、追い詰めることが果たして、善悪を超えて、考えられるのか。
解らない。

その時代に、生まれ合わせたというだけで・・・
その悲劇を生きるという、人生というもの。

その悲劇の歴史を、人は忘れる。
そして、その犠牲も、忘れる。

歴史は、何を伝えるのだろうか。
過ぎたことは、忘れなさい・・・ということか・・・

まして、未来ある、若者が、大勢死ぬという、戦争というもの。
これほど、無益なことがあろうか。

歴史から、学ぶことが、智恵の初めである。



posted by 天山 at 06:31| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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