2013年06月02日

もののあわれについて614

源氏「いとうたて、あわただしき風なめり。御格子おろしてよ。男子どもあるらむを、あらはにもこそあれ」と聞え給ふを、また寄りて見れば、物聞こえて大臣もほほえみて見奉り給ふ。親とも覚えず、若く清げになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。女もねびととのひ、あかぬ事なき御様どもなるを身にしむばかり覚ゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ちのきぬ。今参れるやうにうち声づくりてすのこの方に歩み出で給へれば、源氏「さればよ。あらはなりつらむ」とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と今ぞ見とがめ給ふ。「年頃かかる事の露なかりつるを、風こそげに巌も吹き上げつべきものなりけれ、さばかりの御心どもを騒がして、珍しく嬉しき目を見つるかな」と覚ゆ。




源氏は、嫌だね、心配させる風だ。御格子を下ろしてくれ。下男どもがいるだろうに、丸見えだ、と申し上げるのを、もう一度傍によって見ると、何か言って、殿も一緒にほほえんで顔を見ている。自分の親とも思えない。若々しく、綺麗であでやかで、素晴らしい盛りのお姿である。
女、紫の上も、成熟して、何一つ不足のない、お二人の姿である。身に染むほどに感じられるが、こちらの渡殿の格子も、風が吹き出して、立っているところが、丸見えになったので、怖くなり、立ち退いた。
今はじめて、伺ったようにして、咳払いをして、すのこの方に、歩み出て行くと、源氏が、それ御覧、丸見えだっただろう、と、あの妻戸が開いていたなと、今改めて、気付かれる。長年、こういうことは、少しもなかったのだが、風というものは、昔から言うとおり、大きな岩でも、吹き上げてしまうことの出来るものだった。あれほどの、方々の気持ちを騒がして、またとない、嬉しい目を見たものだという、気がするのである。

さばかりの御心ども
源氏と、紫の上のこと。




人々参りて、「いといかめしう吹きぬべき風に侍り。丑寅の方より吹き侍れば、この御前はのどけきなり。馬場のおとど、南の釣殿などはあやふげになむ」とて、とかく事行ひののしる。源氏「中将はいづこよりものしつるぞ」夕霧「三条の宮に侍りつるを、風いたく吹きぬべし、と人々の申しつればおぼつかなさに参り侍りつる。かしこにはまして心細く、風の音をも今はかへりて若き子のやうにえぢ給ふめれば、心苦しさにまかで侍りなむ」と申し給へば、源氏「げに早まうで給ひね。老いても行きてまた若うなること、世にあるまじき事なれど、げにさのみこそあれ」などあはれがり聞え給ひて、源氏「かくさわがしげに侍めるを、この朝臣侍へば、と思ひ給へ譲りてなむ」と御消息聞え給ふ。




男どもが参上して、大変な嵐になりそうでございます。東北の方から吹きますので、こちらは大したことはございません。馬場のおとど、南の釣殿などは、危険でございます。と、何やかにやと、風を防ぐ手立てを講じて、騒ぐ。
源氏は、中将は、何処から来たのだ。夕霧が、三条の宮におりましたが、酷い嵐になりそうだと、皆が申しますので、如何と思い、お見舞いに参りました。三条では、気が弱くなり、風の音も今は、小さな子のように、怖がりますので、お気の毒ですから、あちらへ参ろうと思います、と申し上げると、源氏は、その通りだ。早くあちらにお伺いいたせ。年を取るにつれて、再び幼くなるということは、有り得ないことではあるが、いかにも、そうしたものだな。と、気の毒に思い、申し上げて、このように騒がしい様子でございますが、この朝臣がお傍におりますと考え、これに代理させます、との言伝を申し上げる。

かくさわがしげに侍める
暴風で不安な様子である。

あはれがり聞え給ひて
ここでは、気の毒に思うという・・・
同情する気持ちも、あはれ、という。




道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものし給ふ君にて、三条の宮と六条の院とに参りて御覧ぜられ給はぬ日なし。内裏御物忌などにえさらずこもり給ふべき日よりほかは、いそがしき公事節会などの、いとまいるべく事しげきに合はせても、まづこの院の参り宮よりぞ出で給ひければ、まして今日、かかる空の気色により、風のさきにあくがれありき給ふもあはれに見ゆ。宮いと嬉しうたのもしと待ち受け給ひて、大宮「ここらのよはひに、まだかく騒がしき野分にこそ会はざりつれ」と、ただわななきにわななき給ふ。大なる木の枝などの折るる音もいとうたてあり。大殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、「かくてものし給へる事」と、かつは宣ふ。そこら所せかりし御勢のしづまりて、この君をたのもし人に思したる、常なき世なり。今も大方のおぼえの薄らぎ給ふことはなけれど、内の大殿の御けはひはなかなかすこし疎くぞありける。




道々、激しく吹き舞う風だが、しっかりした性格の方で、三条の宮と、六条の院に、伺って、お目通りしない日はない。宮中の御物忌みなどで、やむを得ず、出られない場合以外は、忙しい仕事や行事などの、時間がかかる用事が多い時も、まず、この院に参上し、三条の宮に回り、そこからお出になるので、そして今日は、このような空模様なので、風の先に立ち、落ち着かずに、歩き回るのも、けなげに感じられる。
宮は、大変嬉しく、お待ちになっていて、こんな年になるまで、まだこのように、酷い野分には遭わなかった、と、ただ、震えてばかりいる。
大きな木の枝などが折れる音も、まことに、嫌な感じである。御殿の瓦まで、一枚も残らないほど、吹き荒れるが、大宮は、こんな時に、来てくださった、と、ふるえながらおっしゃる。辺り一面に、満ち溢れていた御威勢が、今は、ひっそりとして、この君を頼りにしているとは、儚い世の中である。今も、一般の評判が悪くはないが、内大臣の態度は、親子なのに、かえって少し、粗雑のようである。




中将、夜もすがら荒き風の音にもすずろにものあはれなり。心にかけて恋しいと思ふ人の御事はさしおかれて、ありつる御面影の忘られぬを、こはいかに覚ゆる心ぞ、あるまじき思ひもこそ添へ、いと恐ろしき事、とみづから思ひ紛らはし他事に思ひ移れど、なほふと覚えつつ、来し方行く末あり難くもものし給ひけるかな、かかる御なからひに、いかで東の御方、さる物の数にて立ち並び給ひつらむ、たとしへなかりけりや、あないとほし、と覚ゆ。大臣の御心ばへをあり難しと思ひ知り給ふ。人がらのいとまめやかなればにげなさを思ひ寄らねど、さやうならむ人をこそ同じくは見て明かし暮らさめ、限りあらむ命の程も今少しは必ず延びなむかし、と思ひ続けらる。




夕霧は、一晩中、激しい風の中で、ものあはれ、を感じている。前々から、恋しいと思う人のことを、忘れたわけではないが、先ほどのお姿が忘れられないのである。これは、何とした事か、けしからんことだ。まことに恐ろしいと、気を紛らわそうとするが、それでも、またふっと、浮かんでくる。昔も今も、二人といないお方だ。あれほどの夫婦仲に、どうして東の御方、花摘里が、女君の一人として肩を並べられるのか。比べ物にならないだろう。可哀想にと、思う。そして、殿のなさり方を、ご立派だと理解する。
夕霧は、生まれつき、誠実な性格なので、けしからぬことは考えないが、あれくらいの人を、同じ結婚するなら、相手にして、一日一日を送りたい。限りある命も、きっと少しは延びるだろうと、次々と思いが浮かぶ。

すずろにものあはれ
何となく、寂しい気持ち・・・
しんみりする・・・

花摘里は、夕霧の義母として、お世話をしている。



posted by 天山 at 05:10| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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