2013年05月06日

天皇陛下について151

三代将軍家光の乳母、春日局が、無位無官の身で、天皇に拝謁という事件で、天皇は、ご譲位される。

幕府に対する、抗議をお示しになられたのである。

興子内親王、七歳。
第百九代明正天皇である。

天皇は34歳の年である。
その御製、
葦原や しげらばしげれ おのがまま とても道ある 世とは思はず

思ふこと なきだに背く 世の中に あはれ捨てても をしからぬ身を

天皇は、院にあって、政を見られた。

その院政は、明正、後光明、後西、霊元天皇と、四代に渡る。

それだけに、天皇とは、いかにあるべきかという訓戒書もある。

その中から、
天子の位にあるという心があると、知らず知らずのうちに驕る心が出来、人の言を用いられぬようになる。これをよく考えよ。昔こそ、天子の詔勅といえば、背けぬもの、とされていた。しかし今は違う。将軍がほしいままにふるまい、勅命といっても従わぬ。また公家たちも軽んずる風潮がある。末世、まことに浅ましいが、これもいたし方ない。

気短であってはならない。また、怒りの心が深いとなにごともでも破れる。怒ったあとで後悔しないものはないのだ。

柔和であることが大切。余り慈悲深いと下が恐れなくなるから放埓になる、というものもある。が、もっともではある。しかし何事も、過ぎたるは及ばざるが如しの道理、しかし、怒りは過ぎ易い、また慈悲は過ぎるほどには行いがたい。その辺の分け方が大切。延喜の昔、醍醐天皇は、いつも、にこにこされていた。それは、人が何かを言いやすいようにとの、ご配慮だったという。

宮中のこと、まず敬神が第一。ゆるがせになさらぬように。朝晩のご拝に怠りがないように。仏法もまた捨ておかれがたいもの。すべてがそうだが、上を敬い、下を憐れむ者に、必ず神仏を信じない者はない。また信心するものは心がねじくれていない。

芸能のこと。これはまず、和歌を第一にご稽古されるがよい。

天地人の関係。これは、天地には私がない。が、人には私がある。政道が正しくないとその影響が天にも及ぶ。天変地異は人の私心よりおこるから、慎むこと。

天皇は、「当時年中行事」の著作がある。
後光明天皇に贈られたものだ。
だが、清書本が焼けて、草案のみが残った。

後、第百十二代霊元天皇に贈られた。
その序文である。

応仁の乱このかた、宮中は日々零落し、保元建武の昔の面影がない。信長が天下を手中に収めてから、ようやく禁裏の経営をはじめ、家康が四海を平らげて絶えたるをつぎ、すたれたものを興した。そのため、再び光が甦った。ついで秀忠、家光に至り、古き軒端を改め、玉を磨いた孝は他日に倍している。
しかし、万事はなお寛正のころ、「乱世、後花園天皇時代」にも及ばず、御禊、ダイジョウエその他の諸行事も次第に絶え、今は跡もないような有様となり、再興するあてもない。何事も、みるみるうちに変わってゆく末の世であるから、せめて、衰退の世のたたずまいだけでも、失わないで欲しいと思う。しかし、それも覚束ない。嘆かわしい次第である。そこで、思い出すままに、ここに書き付けておく・・・

後水尾天皇、延宝八年、1680年、崩御される。

家康の孫に当たる、家光が政治を始めてから、20年目の寛永20年、1643年、後光明天皇が第百十代の御位に就かれた。1643年から1654年。

御年、11歳である。

後水尾天皇の第四皇子である。
ご在位は、12年間。

この天皇が、書写されたものの中に、家伝軍書序、というものがある。
内容は、文事ある者は、かならず武備あり、である。

であるから、天皇は、剣術の稽古をされた。
時に、幕府から見張り役として来ていた、所司代の板倉重宗である。
天皇は、第一に学問をなさいませ、と公家法度にあります。武芸をお修めなど、江戸に聞えましたら大変です。お上がおやめくださらなければ、重宗は、切腹いたさねばなれません。
と、言う。

勿論、直接言うことは、出来ないので、伝奏役を通してである。
天皇は、黙っていた。
しかし、再三言われる。

そこで、天皇は、
朕はまだ武士の切腹を見たことがない。丁度良い、南殿の庭に席を設けるので、やってみよ。親しく、見物してつかわす・・・

これには、重宗も二の句が告げない。

更に、御父君の後水尾上皇が、ご病気になられた。
ただちに、上皇の御所を訪ねようとした。
またしても、重宗が、
御所内とは申せ、天皇が御座所からお出ましになられるのは、朝廷の大事にござる。されば、まず関東に問い合わせてからにしてくださるように・・・

何から、何まで、監視である。

天皇は、
しからばそのことは、止めにしょう。ついては、この御所の辰巳の隅の築地より、院御所の戌亥の隅まで梯子をもって、高廊下を急ぎ造れ。禁裏のうちを行くのは常のこと。廊より、廊を移るのである。これを行幸と申す者はあるまい。早々に造れ・・・
とのお言葉である。

その時、19歳であられる。

この天皇から、本の序文が始まったといわれる。
つまり、庶民の著書に、御製の序である。

儒者、藤原惺窩の惺窩文集を上梓された折、勅序を賜ったのである。
一千言に近い。
文は高尚で、専門家の儒者にも遠く及ばないと言われる。

けだし聞く、文は道を貫く器なり・・・
と、始まる。




posted by 天山 at 00:10| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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