2013年04月18日

霊学103

心霊主義が教会の地盤を荒らしたとき、これと競合したのが神智学である。神智学は心霊主義者を排除はしないが、一段高いところから見下している。心霊主義の新旧とりまぜた各種教会、仲の良いものもあれば悪いものもある各種協会の、様々な運動や消長とは別個に、パリにはフランス神智学協会が存在する。心霊主義と神智学は同じ講演者を共有しており、それより程度は落ちるが、あらゆる形態のオカルティズムを愛好する大衆を共有している。だが、結局のところ、ここ半世紀というもの両者は明確に分離したままである。
カステラン

その最初は、ロシアの未亡人、ヘレナ・ブラヴァツキー夫人による。
彼女は、インドに滞在し、そこで、オカルティズムのイニシェーションを受けたと自称する。

そして、ニューヨークにて、心霊能力、空中浮揚、テーブル・ダンス、アポーツなどで、大変な評判になる。
その強烈な個性により、大衆を驚かせ、魅了した後で、彼女は、それをインドの導師から伝授されたという啓示を公にする。

この啓示の最終目的は、超常能力と秘教的イニシェーションであった。

ここで、口を挟むと、おおよそ、このような行為は、霊学から言えば、邪道であり、あまり正体の良くない霊の影響を受けたといえる。

彼女は、更に、ニューヨークに、神智学協会を創設し、教義書を発行する。

その知識の根拠を、極めて古い、インドのテキスト、脱我的瞑想によって、得たという。

更に、英国領インドの、アディヤールに、イニシェーションの本部を設立した。
彼女の後を継いだイギリス人、アニー・ベサントは、夫人の教義を自分の個人的観点から完成させ、神智学協会を、フリー・メーソン的な階位団体に組織した。
これが、神智学に相当の勢力拡大をもたらした。

神智学は、心霊主義のアングロ・サクソン的形態なのである。
カステラン

それでは、神智学では、霊とは、どのような位置を占めていたかである。
アングロ・サクソンの国で、インドの教えが、どの程度まで、心霊主義の教えと一致していたのかである。

第一の相違点
非常に複雑な宇宙創成論は、流出的である。
至高の神はわれわれを包み、支え、われわれに浸透する。しかしわれわれは物質としても霊「精神」としても全面的に神の内部に抱かれているにもかかわらず、そのことを全く知らない。もっとも、物質とか霊という二元論的な言い方は誤っているのだが。すべてが物質というのと、すべてが霊であるというのは、同じことなのだ。

原初に全能者は、唯一の資料的実体、エーテル体として顕現した。
そこから、想像を絶する時間が過ぎて、このエーテルの中に、全能者の息吹「オウム」が吹き込まれた。
こうして、基本的資料、エネルギーが浸透した物質的実体が誕生した。
それから、至高のブラフマンは、みずからの流出である、神々、すなわちロゴスに自分を分かち与えた。各ロゴスは、それぞれがひとつの星雲状太陽系となった。
太陽は、われわれのロゴスの物質的身体なのである。

未分化の星雲状態にあった、各太陽ロゴスは、原初の資料を連続的な渦動によって、かき混ぜ、次第に濃密にしていく。最初に形成された世界は、最も軽く、最も希薄で、最も非物質的な世界であった。

二番目に形成された世界は、もっと重いアトムを凝縮したものであり、以下同様となる。
七番目に形成された世界が、われわれの感覚的世界である。

各星雲状太陽系は、次第に重くなる七つの環からなり、最も思い物質世界が中心にあるのだ。

次に、この星雲は、惑星に分裂し、各惑星は、それぞれ次第に、微細の度を加えてゆく資料からなる七つの圏を抱えている。

これらの圏、すなわち界を、地球に関係するものだけについて述べる。
勿論、われわれの太陽系やその他の太陽系の惑星も、すべてこれらの界をもっている。

神的界
モナド界
霊的界
ブッディ界あるいは、直観界
メンタル界
アストラル界、あるいは感情界
物質界

人間の魂は、モナド界を逃れた花火、宇宙の全体的魂のかけらである。
人間が誕生するとき、その魂は、モナド界を離れ、地球に到達する前に、次第に微細の度を減じるいくつもの界を通過しなければならない。

これらの界の一つで、魂はその界に相当する、外被をまとう。
高位の界は、魂にコザール体を与える。

さらに下がると、メンタル体、アストラル体、もしくはエーテル体、心霊主義で言う、霊体、最後に、人間の母の胎内で、肉体をまとう。

メンタル体は、具象的であるが、利害を離れた思考を表明するのに、役立つ。
アストラル体、あるいは、欲望体は、物質的衝動、情念、肉体器官を動かす、あらゆる欲望を含んでいて、その結果、生じた感情を記録する。

人間は死ぬと、肉体を離れ、それときから、一連の継続的な死によって、自分の行為と思考の結果を、それらが属する各界において、消費する。
霊体をまとった人間は、感情や肉体的情念をアストラル界において、消費する。

物質的生に執着した人間の場合は、アストラル体が強固であり、長く彼を引き止めることになる。

心霊主義が言う、霊が出現するのは、この段階である。
極めて低い段階においてである。

物質に溺れ、そこから離れることのできない無力な霊があるだけだ。
彼らは、われわれの界に、最も近いアストラル界にあって、人間の周りをうろつくのだ。

アストラル体が、その力を、すなわち無用な欲望を消費尽くしたとき、人間は、この界での死を迎え、メンタル界に移る。
この界に対応する、諸傾向を地上で怠り無く発達させれば、この界では、それだけ高度で長い生を見出すことができる。
そこで、純粋な愛情や、無私の研究を再び見出すことになる。

アストラル界と、メンタル界は、それぞれ七つのサブ界に分かれているが、人間の魂は、これらを一つ一つ通過してゆくわけではない。
進化の度合いによって、資格のある、サブ界に直接、到達するのである。

更に、メンタル体も剥奪し、人間は、コザール体と共に上位の界に赴く。
そこは光に満ち溢れ、われわれの大部分は、このような純粋さとほど遠い状態にあるので、なす術も無く、まるで、生命の無いもののように、ほとんど無意識になってしまう。

そして、人間を再び、物質界に下降させ、再受肉させるのは、まさしく生命本能の、働きなのである。




posted by 天山 at 15:54| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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