2013年03月27日

国を愛して何が悪い56

満州における、関東軍と、奉天軍の違いは、日清戦争の際の、日本軍と清国軍と同じである。

だが、張作霖の奉天軍は、私兵である。
中国の軍隊は、共産党の解放軍も含めて、徴兵制に基づかない、私兵で構成されていた。

奉天軍閥には、日本の陸軍士官学校の出身者もあり、北洋軍閥の新軍創設時代に創られた武学、軍学校の出身者、中には、拉致して強制的に入隊させた者、取り込まれた匪賊集団もあった。

後に、大元帥となる、張作霖は、辛亥革命後から頭角を現した、馬賊である。

袁世凱死後の政治勢力再編で、日本の後押しを受けていた、安徽省の軍閥、段キ瑞と、英米の支援を受けていた、直隷派との間で起きた、安直戦争の際に、張作霖は、段キ瑞側に付いた。

しかし、それを裏切り、奉天軍を率いて、安徽軍を敗り、北京政界に進出するのである。

それでも、北京政府は安定せず、第一回奉直戦争で敗れ、奉天に戻り、山東省の独立を宣言した。

だが、第二次奉直戦争が起こり、この時は、直属派だった者が、寝返り、北京を逆襲して、大勝する。
再び、北京の政界に姿を現し、大元帥となる。

だが、翌年、蒋介石の国民党軍に敗れる。

北京を引き上げる特別列車に乗った張作霖は、満州進出をもくろむ関東軍により、爆殺され、奉天軍は、その子である、張学良に継承された。

張学良は、山西軍閥、西北軍閥と、蒋介石の国民党が決戦を迎えた際に、蒋介石に付いて、山西、北西軍を敗り、陸海空副司令官の地位に就く。
つまり、国民党に対抗しうる、実力者となったのだ。

だが、ここからが問題で、奉天軍は、国民党軍を上回る実力を持ったが、民衆に支持されたのは、日本軍である。

何故か。
奉天軍は、人民に課す重税に頼り、苛斂誅求のあまり、民衆からの支持がなかったのである。

リットン報告書には、満州では、民衆の恨みが極限に達し、住民保護の運動が起きているとある。

更に、兵士が、訓練を受けていないため、結束が弱く、少数の関東軍の一撃で、すぐに分裂してしまうのである。

関東軍は、日露戦争後の、ポーツマス条約により、南満州鉄道本線、及び、安奉線などの鉄道沿線の警備のため、租借地である、関東州、つまり、旅順、大連を中心とする、遼東半島南端の租借地に設置された、駐屯部隊である。

はじめは、都督府が置かれたが、1919年、それを廃止して、関東庁を設置し、関東司令部が、旅順に置かれると、関東軍は、一万人前後の兵力を有する、独立守備隊となった。

満州事変では、一万六千人の関東軍が、15万人以上の張軍を掃討し、奉天、吉林、黒竜江の山東省と、内モンゴルの熱河省を支配下に置いた。

その最大の原因は、奉天軍が、三千万人以上の、住民の支持を得られなかったためである。

満州事変後、軍閥打倒と悪税撤廃をスローガンに、奉天地方自治委員会会長の袁金凱が独立を宣言した。
更に、吉林省の東北地区防軍参謀長も、独立を宣言する。
同様に、熱河省主席、東辺道、兆南も次々と、独立を宣言する。

それほど、奉天軍は、一般の支持を失っていたのである。

満州国が、中国流民の桃源郷だったこと。
それは、袁世凱の死後から始まる、中国の地方軍閥の実力競争の時代になり、それぞれの軍閥が、その勢力を保つ、延ばすために、離合集散を繰り返し、そして、支配地域の住民から、租税を徴発したことである。

しかも、先取りで、搾取する税であり、数年先、数十年先、中には、百年後の租税を取り立てる者まで、出たのである。

そこで、中国人同士の縄張り争いで負けた者、政界から駆逐された者、革命に失敗した者は、巻き上げた資金と、親族縁者を引き連れて、租界に逃れるのである。

租界とは、安全と秩序のある場所である。

軍閥割拠の時代、内戦状態の際も、地主、民衆は、租税に苦しめられた。
共産党の八路軍、現在の中国人民解放軍である、その解放軍が入ってきた時も、彼らによって、開放された地区では、清算、粛清闘争が実に激しいものだった。

その兵士たちは、戦いに負ければ、単なる強盗になった。
住民から、奪うのである。

それが、支配者が変わる度に、行われる。
更には、省内にのみ通用する、不換紙幣が次々と発行されるが、政権が倒れれば、紙くずになるのである。

外国人が管轄している、租界は、別天地といっていい。
軍閥は、租界に指一本触れられないのである。

満州事変によって、強力な日本軍に支配された満州は、各地に治安維持政府が立てられ、満州国後は、新たな人口国家建設のための殖産興業で、インフラ投資が進められ、日本政府、企業から大量の資金が投入された。

好景気である。

満州は、こうして、日本軍によって、桃源郷となったのである。

上海租界に代わり、戦乱に苦しむ民衆の逃げ場になったのである。
飢饉のために、逃れて来た農民、戦乱で焼け出された難民が、大挙して、満州に押し寄せた。

あのまま、満州国が、健全であれば、中国は、現在のように独裁国家にならなかったであろう。
それを打ち壊したのは、中国共産党だけではない。
満州からの、利益を求めた、欧米の野心のせいである。




posted by 天山 at 06:05| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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