2013年03月26日

国を愛して何が悪い55

さて、これから満州について書く。
満州について多くを知らない人が多い。

中国でさえも、あまり知らない。
更に、満州とは、差別語であるという、中国の学者もいるそうな。
それは、満州人を歴史から抹殺しようとする意識からだと、思う。

紀元前8世紀から、2世紀にかけて、現在の南満州から河北省にかけて、燕、えん、という国があった。
春秋戦国時代である。

その戦国時代に、燕が、北方の雄として、史書に登場する。

その都が、現在の北京辺りである。
長城より北の地は、古来から、北方騎馬民族の地で、東胡、匈奴、鮮卑などの民族が、この一帯を支配し、長城を越えて、中原の農耕民を脅かしていたのである。

満州の地では、モンゴル系、ツングース系、チュルク系の民族が活躍し、粛慎、高句麗、渤海、などの国が存在していた。

中世に、高句麗が唐と新羅の連合軍に滅ぼされると、モンゴル系の契丹人が、遼という国、
ツングース系が、女真族が金という王朝を造った。

更に、南の宋王朝を脅かす。

モンゴルが台頭して、金が滅ぼされると、女真族は、モンゴル人に服属した。

元が滅び、明王朝が成立すると、女真族の諸部族は、北方へ逃れてきた元の残留勢力、北元や、明・朝鮮の李王朝に朝貢しなければならなくなり、圧迫されていた。

この女真族は、秀吉の朝鮮出兵の頃は、満州の建州、海西、野人の三部族に分かれていたが、半世紀後、建州女真族に勢力が集中して、後金国が成立し、満州を統一する。
そして、服属していた、モンゴル人や朝鮮人を支配下に置き、長城を越えて、明を滅ぼし、清王朝を造ったのである。

つまり、中国を征服したのである。
女真族、満州人である。

そして、広大な領土と、圧倒的多数の漢人を統治するため、民族を上げて、長城以南に移住し、満州は、一部が軍事駐屯地か、皇族のお狩り場とされた以外は、無人の荒野となってしまったのである。

19世紀の、国際法「万国公法」の基準で言えば、無主の地と、見なされたのである。

列強時代の精神を反映した、公法であるが、その時代は、それが万国公法であった。

アヘン戦争前夜、イギリス政府の代表として、北京を訪れた、マカートニー卿によれば、乾隆帝に謁見した際に、満州には、漢人が一人もいなかったという。

当時の満州には、漢人は、一切立ち入り禁止になっていたのである。

更に、満州だけではなく、新疆やチベットにも、漢人は入れなかった。

満州移民解禁は、19世紀末であり、華北の五つの省の住民にのみ許された。
しかし、20世紀に入っても、その数は、100万人程度である。

ほとんどが、荒野だったこの地に、義和団事件をきっかけに、なだれ込んで来たのは、ロシア軍である。

更に、20世紀に入ると、中国各地では、自然破壊が激しく、毎年のように、飢饉に見舞われた。
社会は乱れ、匪賊が跋扈する。

特に、辛亥革命の後は、戦乱が絶えず、家、土地を失った華北の農民たちが、流民となり、満州へと逃れた。

その数は、年間、100万人といわれる。

その大半が、山東人だった。

満州移民から利益を吸い上げようとやってきたのは、政府の役人と、匪賊である。

このように、中国の領土拡大は、いつも、流民の原理に従いなされたのである。

日本の移民制度に、中国人を入れると、いずれは、このように占領される。
政治家は、それを、よくよく考えて、移民受け入れを行うべきである。

漢人の大量移民は、満州の自然環境を大きく変えた。

満州人は、狩猟民族であり、森を大切にし、遊牧民のモンゴル人は、草原を大切にした。
満州人が中国を支配した際は、街路樹を植えるほどだった。

しかし、漢人移民たちは、そのような生活様式を知らない。
満州の森林に入り、樹木を伐採して、山野を開拓した。

その昔、緑豊かだった場所も、今は、岩がゴロゴロした、荒野になっている。

19世紀末、無人に近い荒野だった満州も、1931年、昭和6年、満州事変の頃は、3000万人の人口だった。

日本が、満州領有をめぐる中国との戦いで敗退したのは、大東亜戦争の敗北だけではなく、移民の数に負けたからである。

アメリカ国務長官の、ヘンリー・スチムソンは、かつて「極東の危機」の中で、日露戦争当時、満州はほとんど空き地同然の辺境で、最初に殖民に成功した国民の手に帰すべき、競争の目標物として放置されていた、と言う。

日清から、日露戦争の間は、世界的不況で、日本には、200万人以上の失業者がいたというが、満州への移民は、中国、漢人の移民流入に比べると、格段に落ちていた。

だが、日本の移民は、進まなかった。
ゴキブリのように、漢人が入ってくる。

その大きな理由は、漢人たちは、最初から、政府に見放されていたのである。
満州に行く以外に、行くべき所が無い。

満州国の時代、日本の移民は、朝鮮人の80万人の移民と合わせても、130万人である。
その後は、100万人に減少している。
その数は、中国人の移民の一年間の数である。

これには適わない。




posted by 天山 at 06:06| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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