2013年03月25日

最後の沈黙を破る。72

戦没者の追悼慰霊と、衣服支援をはじめて、丸六年。
七年目に入る。

個人活動である。
やれば出来るのである。

そんな大それたことは・・・と、思っていた。
しかし、やってみた。

追悼慰霊をすることにより、私は、大東亜戦争のことを調べ始めた。
そして、それは、多くのことを教えてくれた。
戦争と、平和を考える。

そして、支援活動は、世界が一つであることを、教えてくれた。

活動しなければ、分からないことだった。
如何に、知らないのかを、知った。
そして、更に、知らないということを、知った。

色々なことを言われる。
そして、言う人たちは、何もしないということも、分かった。
だから、何も聞かない。

ただ、我が心の欲するところに従い、行動する。

一人一人の人間は、何かのために、生きている。
詐欺師でも、何かのために、生きている。

と、思い込む。
その、思い込みで生きる。
それで、いい。

何せ、人生は、儚く、冗談のようなものである。
泣いても、笑っても、それは、本当ではない。
事実、本当のことと、いうのは、無いと知る。

本当のことがあると、思って生きるのも、いい。

神が存在する。天使が存在する。
様々な妄想がある。
それでいいのである。
そして、それらは、皆、存在するものである。

人間の妄想は、すべて存在するから、いい。

つまり、妄想出来ないものは、存在しないのである。

存在しても、人間が意識する、妄想しなければ、無いのである。

そして、確実なことは、皆、死ぬ。
死ぬと、終わる。
この世が、終わるのである。

この世の終わりは、死ぬことで、成り立つ。

明日、死ぬ。
だから、いい。

永遠のいのち、など、いらない。
未来永劫、死んで終わりが、いい。

だから、先に死んだものが、勝ちである。

歴史の人々は、勝っている。
先に死んでいるからだ。

彼らに、勝つためには、死ぬしかない。

それも、生きて生きて、生き抜いて死ぬ。

そうして、私は、この活動を続けている。
天上天下に、私しかいない。
つまり、人間は、絶対、孤独な存在なのである。
それを、ごまかすために、家族、親族、友人、知人、その他もろもろが、必要なのである。

兎に角、明日、死ぬ覚悟で、生きる。
この活動も、それが、始原である。




posted by 天山 at 00:45| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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