2013年03月20日

霊学102

心霊主義は、15世紀までの流れを覆し、革命的だった。

死者の招霊を真面目で道徳的かつ高貴な実践とし、知識と叡智の源流としたのである。
カステラン

心霊主義はひとつの科学であり、哲学である。・・・人類再生の教義としてこの学の目的の偉大さと射程は、その理論を研究すればただちに理解できるであろう。
カルデック

心霊主義は尊敬すべき神聖なるものであり、深い考えと敬虔の念をもった者しか触れてはならない。過去においては悪魔の仕業と恐れられていたが、今日では聖なる証と考えるべきである。
カルデック

中世の弾劾は廃止された。
カステランは、いまや、われわれの導き手を、霊感の主を認め、その言葉に耳を傾け、彼らにふさわしいものになろうとするのだ。・・・と、書く。

カルデックは、霊は、超自然の存在ではなく、他の人間と変わりないひとりの人間で、肉体の代わりに霊体を持つものであると、する。

霊体の諸特性が分析されれば、霊のいかなる行動も、超自然的にではなく、「物理的に」説明できるようになると、言う。

更に、カルデックは、プロテスタントの信仰から、カトリックの主要な瞑想教派と比べれば、心霊主義の教義は、日常的で、単純、厳しさみに欠けるものに思えるという。

だが、心霊主義は、個人重視の教義であり、聖職者や崇拝儀式を一切、必要としない。

招霊自体、いかなる聖なる呪文も排除する。
この教義の重要性は、他人への奉仕を重視することにある。

つまり、プロテスタントの新しい教派のようである。

教義の基盤は、キリスト教であるが、新約聖書に関して、大きな改変を行うのである。

イエスは、選ばれた霊、人々の手本となる霊、至高霊の頂点に立つ、比類なき霊であるが、どの人間とも、同じひとつの霊に過ぎない、となる

福音書は、人間の霊体としての組成やイエスの霊媒としての機能に基づき説明される。

イエスは、霊媒であり、白魔術師であり、見者である。
奇蹟、予言、自己犠牲、イエスの説教までも、この観点から、解釈される。

これは、画期的な教義である。
だが、カトリック、プロテスタントの各教会は、受け入れられないだろう。

イエスは、キリストなのである。
それによって、教会が成り立つのである。

しかし、カルデックは、教会から決別しなければならないと、思わなかったという。

心霊主義はキリストが予告した慈悲と連帯の世を確立するために出現した。だから心霊主義が教える道徳は本質的にキリスト教のものである。それはこれまでその優位性に誰も異論を唱えたことのないキリストの教えの発展と応用にほからならい。キリストがたとえ話しによって述べたことを、心霊主義は明確でまぎれのない用語で表明するのだ。
カルデック

更に、
旧約の律法がモーゼによって体現され、新約の律法がキリストによって体現されたとすると、心霊主義は神の律法の「第三の啓示」である。
と、述べている。

ある意味では、もう一つの宗教改革と呼べるのである。

更に、秘蹟は、無用である。
純粋に道徳上の努力によって、前進すること。
いかなる教派に属していようと、人間は、良き行為の度合いによって、義とされる。

ここで、秘蹟を主にする、カトリックには、受け入れられないものだ。
つまり、プロテスタントの教会にのみ、通じるものである。

更に、カルデック以降、その後を継いだ、レオン・ドゥニになると、カルデックの理論をその極限の帰結まで、推し進めた。

それは、イエスの神性は、明確に否定され、更に、ローマ・カトリックは、忌まわしいもの、たわごとと見なされた。

それは、すべてが、秘教的意味を担うキリストの言葉が、考えうる限りの、罪深い歪曲を行ったという理由である。

19世紀後半になると、心霊主義の母体であるアメリカでは、モルモン教、少し遅れて、初期のエホバの証人、セヴンスデイ・アドヴェンティスト教会、クリスチャン・サイエンスが、続々と登場した。

そして、ブラヴァツキー夫人が、ニューヨークに、ロンドンに、神智学をもたらす。

神智学は、心霊主義の私生児といわれているが・・・

更には、
医学と心理学の中間に、既存のあらゆる哲学を震撼させる地帯が存在したが・・・
カステラン
である。

フリー・メーソンは漠然とした理神論者で、儀礼を重んじ、科学主義に強く染まっていた。教会はみずからの威光が揺らぎ、その権威が無視されたり疑問視されるのを感じた。このことはそれまで無条件に教会に所属していた無知な信徒大衆までに及んでいたので、教会は説教師を通じてこの傾向を弾劾し、いっそう厳しい態度を示すようになった。
カステラン

カトリックは勿論、プロテスタントの諸派の教会に対しても、激論を起こしたと思えるのである。

教会関係の、反心霊主義に対する、論調には、触れない。

教会に対する、戦闘的な評論の一つのみ載せる。
われわれは古い律法の預言者たちを霊媒レベルに引き降ろす。不当に持ち上げられたものを下げ、歪曲された意味を正すのだ。そして、あえて選択しなければならないのである。旧約の霊媒が書いたものより現代の霊媒が日々書いていることのほうを、われわれは好むであろう。

これは、教会権威に対する、徹底した挑戦である。




posted by 天山 at 00:01| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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