2013年03月16日

神仏は妄想である。405

結局は、新興宗教に身を置き、周囲が目を見張るほど一心不乱にそこの信仰を実践しようと、純神道で説く原初アニミズムのマニュアルを欠いていることから、自分という個人が地球という生命体の中に生かされていることを知らず、その地球が宇宙の仕組みで創られた、特別な生命体であることすらわからないため、どうしても狭い視野での教祖と自分の関わりしか認めない。その結果、人格も品性もひとつの宗教団体でしか通用しない低次元なものになってしまうわけです。
坂口光男

この方は、宗教家ではなく、画家、古代史研究家である。

上記、宗教の信仰は、おおよそ、その通りだろう。
いずれ、ここで、宗教と心理学、精神分析、精神医学から、問い掛けるつもりであるから、あまり深入りしないが・・・

その教えだけが、善であると、思い込む。
信仰とは、一種の神経症の症状であるとは、私の見方である。

更に、強迫性である。
そして、自己暗示・・・

坂口氏の言う、神道は、人類全体に共通する、グローバルな信仰であり、そのグローバル化を欠いたものは、単なる、狂信の部類に入ると、言うのである。

弥生以来の自然収奪文明がいまに続き、環境破壊も進んでいる事実にも無関心になります。
坂口

一つの環境文明論である。

確かに、今の日本人は、自然の中にいるという感覚が希薄になり、自然破壊に関しても、一部の狂信的な活動家たちによって、成されているようである。

個人的なご利益信仰、特定の教祖を必要としない、正しい縄文信仰を・・・
そのような、意見である。

これに関しては、私も、同じ思いである。
勿論、信仰は、極めて個人的な情緒であるから、否定することはないが・・・

非常に示唆に富んでいるのは、
歴史考古学、環境考古学、血液型遺伝子学・形質人類学のような実証的学問をはじめ、文献歴史学からの記録情報と、地道な採集情報が、いまもってそれぞれが単独状態の学問のまま、各大学の専門学科に組み込まれていることと、まとめたはずの書籍の類も学者たちが専門分野に固執するあまり、いつになっても体系化が進んでいないからです。
との、意見である。

それが、日本固有の文明構造と、精神基幹が、おろそかになる原因であるとする。

一万二千年前からの、縄文時代からの、純粋な神道・・・
その名も無い時代である。
しかし、晩期から弥生時代にかけて、続々と、渡来する民族との混血。更に、縄文期の信仰の在り様・・・

それは、他の文明の発祥と比べてみることで、よく分るはずである。

さて、日本は、仏教国の一面を持つほど、仏教が浸透している。
が、その仏教は、無神論なのであるが・・・

いつの間にか、一神教のような面持ちになってきた。
例えば、念仏・・・
阿弥陀如来を念ずる。

大仏や、大日如来・・・
果ては、題目というもの・・・

日本に伝えられた、仏教は、純粋仏教ではなく、多分に、その歴史的背景から、バラモン、ヒンドゥー、そして東方基督教などから、大きな影響を受けているものである。

更に、中国を通して入ってきたゆえに、中国思想からも、免れないものである。

その以前の、仏教、上座部仏教などから見ると、日本の仏教は、仏教というより、新興宗教の形相である。

鎌倉仏教の頃は、宗教というより、精神革命と呼ぶ時代である。
そから、また、仏教が、仏教の形相を一変させた。

矢張り、一神教に似るのである。

日本には、多を容認する思想、和の思想がある。
それは、縄文期からの、日本人の心性である。
だから、多くの宗教を受け容れられるのである。

単音に意味がある。
それは、縄文期からのものである。
言霊・・・

だが、その言霊も、復古神道によって、歪められ、怪しいオカルトに堕落した。

そして、現在、神道を名乗るのは、弥生系から、更に堕落した、神社神道である。

明治期の国家神道から、何も変わらない様子である。
古事記の丸暗記からはじまり、本来の持つ、神道の意味と意義を見失っている。

型は、大切だが、神社という建物に、寄りかかっている。
社、やしろ、とは、依り代なのである。
ところが、その依り代を枕に、安穏に安泰に、過ごしている。

神道は、日本人の、日常生活である。
それは、自然を拝して、一日を過ごす行為である。

建物の中に、神がいるのではない。
自然の中に、充満して存在する、霊気である。

つまり、妄想の神ではない。

自然という、目に見える存在にこそ、信仰に相応しい姿がある。

日拝する。
太陽を拝する。
拝む対象は、自然なのである。

万が一、天地創造の神というものが、存在していても、その創造した、自然を拝する行為を、裁くものだろうか。
偶像崇拝というらしいが・・・

しかし、天地創造の、人格神というものは、どこを探しても、存在しない。
存在するのは、法則と秩序の自然の摂理である。




posted by 天山 at 00:39| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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